ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

サークル

 区の社会教育館での「カンツォーネのクラス」が終わった。最初の二回は出かけていたので欠席したのだけれど、あとは全て出席した。最後にそれぞれが人の前に出て唄うということになっていた。順番はあみだで決めた。わたしは4番目に「ラ・ノビア」を唄うことになっていた。
 出かけていくと、先生が「お願いがあります。ソロが続くから後ろに回ってくれますか?」というので、最後の順番ということになった。これに策略が絡んでいるとは気づきもせず(笑)「おお、トリを務めますかぁ」なんて心に思って結構悦に入っていた。で、悦に入ったまま、大声を張り上げて「ラ・ノビア」を気持ちよく唄った。
 このクラスが終わり、まだ、続けたい人で自主サークルを立ち上げようということになっていて、14名が残った。で、サークルをどういう名前にするか、とか。会費をどうするか、という点についての話し合いの中で、じゃ、代表と会計さんを決めましょうとなる。誰もこんな役を引き受けたりしないよね、普通。で社会教育館の担当の方がこう言った。「最後に大きな声で元気よく唄って下さった方にやってもえませんかねぇ!」うわっ!これだったのかぁ。印象に残っているうちに決めちゃうというわけで、順番が最後になったのはこれの布石?つうわけで、4月から自主サークルとして続けることになった。
 最後に参加者のひとりひとりが先生とピアニストの方に謝辞を述べてわかったのだけれど、最高齢者はなんと89歳だった。次が87歳で、やっぱり女性は強いよねぇ。終戦の時には10代後半だったわけだから、目がくらみそうだ。こんな謝辞の時に、自分の得意話をしたがる爺さん婆さんがいるのにも驚いちゃう。
 社会教育館の担当さんに「失礼ですが、ご出身は静岡近辺ですか?」とお伺いしたら、目が点になって固まった。「榛原郡の吉田町ですが」と。前々から言葉のイントネーションに特徴があったのだけれど、「こころ」という言葉のイントネーションが決め手。周りにいた方々も驚いていた。何しろこっちは小学生の時に3年半、社会人になってから5年、清水で暮らしたからね。
(写真:最後に先生が唄って下さることになり、これから歌う唄の中身を説明して下さっているところ。歌い出したら、もちろん何も見ずに、オペラそのもののように歌われた。聞いたことがない歌だったが、その迫力には圧倒された。)