「小さきもの」ではなくて「小さくされてしまっているもの」だと、釜ヶ崎の本田哲郎神父がいっておられた。生まれながらにして小さい立場にいる人なのではなくて、周りから貶められ、軽んじられ、目下に見られた結果、相対的に「小さきもの」となってしまっている人のことだろうか。
人はことさら自分を大きく見せたがる。他の人よりもすぐれているんだと自分で思いたがる。だから、それ相当の扱いをされたいと念願している。わたしなんてその最たるもので、理不尽な扱いを受けたくない、なぜならわたしはそういう立場にいるからだと思っている。そんなことは自分が勝手に思っているだけであって、そんな摂理はどこにもない。
「俺を誰だと思っているんだ」と威張る。「お前なんて誰だか知るわけがない。誰だかわからないけれど、それはそれで良いんだ」とつながるべきなのである。
いつまで経っても人間の本当のことがわからない。