以前からそうではあるけれど、日本の近現代史というのはほとんど学校ではやらなかった。今でもやらないみたいで、SNSで「なんで在日朝鮮・韓国人の人たちは本名を使わずに日本名を使おうとするのか」と書き込んでいる人がいて、大変に驚いた。つまり、この人は朝鮮半島が日本の植民地であったこと、そこでは創氏改名を矯正されていたこと、朝鮮半島では大変に暮らしにくくなって、多くの労働者が内地へ出稼ぎ、あるいは徴用されて労働者として移動させられたこと、戦後も日本では長らく差別されてきたことを知らないということになる。
周囲の環境がそうした差別環境にあったから、私も子どもの頃は普通に「朝鮮人」と一括りにして、一段低く、つまり二級アジア人として見るような心を持っていたことは否めない。それが普通の味方だとする環境に育っていた。
初めて日本名ではなくて、本名で生活している人に遭遇したのは多分1980年ぐらいのことで、車のバッテリーが上がってしまって、特殊なバッテリーだったので、修理屋さんに持ち込んで充電してもらったときに、店長さんがくれた名刺にその人の名前が尹さんと書かれていた。へぇ〜、この人は堂々と本名で生活しているんだ、堂々としていていいなぁというのが私自身の感想だった。それまで近くにいた人や、テレビで見る人達は日本風の名前で活動していたからだ。
今でもわざわざ「芸能界、本当は朝鮮半島出身者リスト」みたいな企画をSNSにアップする人達がいるけれど、わざわざそんなことをする必要もないし、芸能人の殆どが日本人だって芸名を使っているじゃないかと思うがわざわざ差別しようとする。そんな連中に差別をするなというと、「いや、これは区別だ」なんぞと詭弁を弄する。もっとも、政治家(本当は選挙や)がこれだけ詭弁を弄するんだから一般人も平気だ。
差別主義者は何代も前に日本人に帰化した人たちまであげつらって差別を繰り返す輩までいる。そんなことをいったら、お前の祖先はどこからこの列島に来たんだとくだらない話にまでなる。SNSが普及して、ますます人種差別が深刻化する背景には、世の中のタコツボ化の影響もあるし、教育の劣化が大いに影響しているだろう。