ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

え、なんで?


 ビックカメラのVIEW CARDが今月でexpireするので新しいカードが送られてきた。
ところが一緒にこんなチラシが入っていて、古いカードをいつものようにすぐ切り刻んで捨てようとしたら、そりゃダメだといっている。なんか、チラシの女性に怒られているみたいだ。すんません。
 で、これ、なんなのかと思って裏を見たら、古いカードに登録されている金額がそのまま没収されちゃうらしいのね。
じゃ、どうするんだと。ATM VIEWというのが駅ナカにあるから、それで現金を取り出してねと書いてある。
面倒だなぁ。多分大きな駅にはそういうのがあるんだろうと思って、わざわざ日頃乗らないJR山手線に乗って上野にいった。
あそこは大きな駅ナカがあるからね。
ところがそんなATMなんて見あらないどころか、ATMは全部改札の外にある。
なんだろうなぁと思ったけれど、とりあえずプリンターのインクを買いに有楽町のビックカメラにいった。
すると、その一階にくだんのATM VIEWがあるじゃねぇか。
つうわけでそこで現金を取り出した。といっても3千円ちょっと。

どうも近頃のデジタル化の面倒くささについていけない年令になったらしい。
これも河野太郎が悪いの?




久しぶりに青空

 ビックカメラにプリンターのインクを買いに行く。
今じゃ大っぴらに純正ではないインクを売っている。
以前にそれを買ったんだけれど、うちのbrotherのプリンターはそれを受け付けなかった。
どういうことかわからない。
いまだに純正を買っている。

ところが最近はプリントすることがずいぶん減った。
本は殆ど必要なときはスキャンしてしまうからだ。
そのかわりpdfソフトが必要になる。
それでもファイルを加工しないんだったら、それも殆ど要らない。
プレビューってソフトでペイジの挿入や削除はできちゃう。

しかし、つれあいはそうはいかない。
紙に印刷でないと使えない。
彼女はスマホの画面をスクロールすると気持ち悪くなるという。
だから紙に印刷でないと使えないという。

桜は満開で、ソメイヨシノだけでなくて、オオシマザクラや枝垂れ桜も満開だ。
さぞかし上野や、千鳥ヶ淵はとんでもない人達が歩いているんだろうなぁ。

子どもの頃の遊び

長馬
 馬になっているあるひとりに集中してどっかァ〜ンと乗ってぶっ潰すといういじめが流行り始めたこともあってか、学校では禁止になった。

無茶ぶつけ
 バスケットやラグビーのようにパスをしながら校庭狭しと特定のひとりを追い詰めてボールをぶつける。

 こういう遊びは遊びのように見えていて、実はいじめの手段に使われるということは結構あったもので、私は要領がいいので必ず被害者に回らないスタンスを取り続けたという悪者だった。

缶蹴り
 見つけられちゃったら出てこなくちゃいけないけれど、手を繋いで長く伸びてる手をぶった切ったら先につながっている連中は逃げられて、鬼は数えている間は捕まえられない。そのうち要領の良い子が風のように飛び出してきて缶を蹴り飛ばして,またゼロになる。泣きたくなるもんだった。

Sケン
 けんけんしながらS字の陣地から出て、相手の陣地の奥にある宝を踏んだら勝ち。

曇りだろうと寒かろうと


 人々は、まるで蟻が甘いものがあるところをすぐに見つけるように、その地域で最も桜の花が密集していると思われるところに、ちゃんと集まってきて、ざわざわとしている。今日みたいにどんより曇った日で、しかも寒いというのに。

 隣の区の図書館のサイトをチェックしたら二冊の本が「返却日を過ぎておりますよぉ〜!」と警告されていたので、泡くってお返しに参上した。そうしたら、予約してあった本のうちの一冊が準備できていた。

 

 2005年筑摩書房刊。著者は1933年生。大田区立入新井第5小学校。この小学校は駅でいうと、京浜急行平和島の駅の傍。昔はこのあたりまで海で、海苔の養殖が盛んだった。なにしろひとつ品川よりの京急の駅は「大森海岸」という駅名だ。このあたりの海岸沿いはかつては何軒もの高級料亭が並んでいたという。遠浅の海を埋め立てた小さな島に1944年に捕虜収容所が作られた。当時の資料を読み解くと、必ず出てくるのがこの大森の捕虜収容所である。敗戦後は東條英機などの戦犯を収容した大森プリズンになった。捕虜たちは建物疎開建物解体やその後始末に使役に使われて街へ連れてこられた。ひもじい思いをしていた捕虜が監視の目をかすめて街の人に物乞いをし、それになんかしらの施しをした人たちを、敗戦後開放された捕虜が、ちゃんと見つけてお返しをしたということまで書いてある。米軍は屋根に白いペンキで「P.W.」(Prisoner of War)と書かれた収容所に向けて物資をパラシュートで投下した。海に落ちると、捕虜が抜手を切って泳いで取りに行った。
 戦争が終わってすぐに、高級料亭の中の小町園、悟空林がRAA(特殊慰安施設協会)の施設、つまり占領軍将兵向けの慰安施設になった。これは戦後のことだが、敗戦直前の1945年6月に、今は羽田空港の敷地の中に飲み込まれている穴守町に「産業戦士に対する慰安設備」なるものが作られたとも書いてある。大森山王のお屋敷町はあっちもこっちも占領軍に接収された。


 2007年平凡社刊。こちらの著者は1930年新潟の生まれ。一昨年93歳で他界。「1954年に『思想の科学』に大衆映画論「任侠について」を投稿し、鶴見俊輔の絶賛をうける(ウィキペディア)」。いつもの散歩道にある古本屋の店頭に500円で売りに出ていた。


 谷中のバス停でバスを降り、前の八百屋を覗いて、通り過ぎると後ろから声をかけられる。知り合いの鮪屋さんの女将さんである。その八百屋とは懇意で、そこから千住葱を仕入れている。共通の友人が先月若くして他界したがその死因を聞いた。

観光税


 日本には「国際観光旅客税」というものがある。日本にやってくる観光客から直接徴収するのではなく、「原則として、船舶又は航空会社(特別徴収義務者)が、チケット代金に上乗せする等の方法で、日本から出国する旅客(国際観光旅客等)から徴収(出国1回につき1,000円)する」ことになっている。

 つまり日本にやってくる外国人観光客から徴収するというものではなくて、とにかく日本から出ていく人全員から一回1,000円取るということだ。日本から出かける人からも徴収する。出かけられるくらいだからそれくらいの金を出せ、ということだ。その点では日本人にとっては、ある意味かつての「物品税」的性格を帯びている。


 米国、豪州、ニュージーランドなどは、ビザ(入国査証)の発給手数料として徴収するのではなくて、ETA(Electronic Travel Authority)というものを設定していて、それ用のアプリを作り、その中でパスポートを読み取り、本人の顔写真を撮影し、費用をクレジットカードで徴収する。

 それが自分ではうまくできない、とお嘆きの方のためには、驚くほどの数の民間代行業者が存在して、ネット上で検索すると公式サイトよりも上位に上がってきて、知らないうちに公式サイトではなくて民間業者に申請代行を委ねていることになってしまったりする。料金もそれぞれ驚くほどではないけれど、面倒な上に、費用がかさむ。

 ニュージーランドに至ってはETA費用はアプリで申請するとNZ$17だけれど、ブラウザでオンライだとNZ$20だったり、できるだけ人を介さずに金を徴収するシステムができている。そのうえ、ニュージランドはこの時点ですでに観光税・IVL(International Visitor Conservation and Tourism Levy)をひとりNZ$35徴収されちゃう。観光に行ってもいないのに、合計NZ$52をすでに払うことになる。

 地元住民が物価高に苦しむような状態になってしまった観光立国・日本も、これくらい外国人観光客から徴収しても良いんじゃないのか?どうせこの円安で彼らはその物価の安さを享受してんだから。