ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小言幸兵衛 家庭のしつけができていないということ

 私たちのような団塊の世代は今の子どもはしつけが全然なされていないと良くいう。そのこどものしつけは直接的にはその親が担当する。もちろんその周りにいる人たちにもその役割はある。しかし、今の子どもの親たちというのが概ね40前後だとするとその親たちは65歳前後くらいになるのだろうか。戦後の教育を受けている世代の早い部類である。それに直ぐ続いているのが団塊の世代ということになり、その辺はもう一緒だ。
 飲食業を営む知人の話を聞いて驚いたのだが、今頃の女子社員はランチ時間一杯を昼飯を食っているところで、平気で過ごそうとするという。あとから来るお客さんのことや、お店の都合なんてことは一切お構いなしで、いつまでもでれでれ、ワァワァしているというのだ。そうした女性のグループが来ているところに遭遇したことがある。うるさいなぁとは私も思った。「みっともないなぁ」と思った。彼らはこの店がどんな雰囲気の店で、周りの人がどんな雰囲気で過ごしているのかを「心得る」ということができない。挙げ句の果てに彼女たちが帰ったあとを見て驚く。丼の中は食い散らかした状態。残すにしてもどこかに寄せておく、と言うことくらいは普通する。それだけじゃなくて、割り箸を丼に突っ込んだままである。自分の喰い方をよその誰が見るか分からないから、恥ずかしくないように、と言う気持ちなんて、もうこの世の中にはどこにも残っていないかの如くだ。
 別に私は自分が完璧だなんて思ってえらっそうにいっているわけではないのだけれど、今や「お里が知れ」たって良いのだし、「恥ずかしい」なんて感覚はもう全く存在していないかの如くであると言うことが寂しく、悲しいだけである。何故こうなったのか、昔の風習は一体どこで断絶されているのか、を解説している人はいないのだろうか。

月曜炊事当番

 先週の月曜日の当番の時には久しぶりに餃子を作ったのだけれども、肉が多すぎて、しかも野菜の水を切りすぎてしまい、パサパサ餃子になってしまった。そこで!今日はリベンジということで2週連続で焼き餃子となった。今回は肉を少なく、キャベツのみじん切りを多くし、水切りも少し緩めにした。さて、その結果。ジューシーとはなったものの、今回はキャベツは高いというケチ信念が発動したため、堅い葉までその材料として採用に及んでしまったものだから、どうも舌触りが悪いという結果となった。やれやれ、またチャレンジが必要だけれども、まさか来週に3週連続で焼き餃子と及ぶわけにはいくまい。

かまやつひろし曰く

 例のビートルズ来日記念NHKドキュメントを今日再放送。その中でスパイダーズのかまやつひろしが何故あの時スパイダーズは前座のひとつとしてステージに上がらなかったのか、という話をしていた。ひとつには知らない人には単なる物まねバンドとしてみられてしまう危険性があると思ってと言うことだけれども、もう一つは出演するとゆっくり見られなくなると言うことをあげていた。そして、彼はやっぱり出演しなくて正解だったという。いろいろあるのだけれども、その中でとても重かったのは、やっぱりビートルズのスタッフは現地のミュージッシャン、あるいはスタッフに対してある種の差別感を持って接するということを感じたのだ、と言うのである。私たち一ファンはその辺の部分には全く触れることなく、多くの警察官とほとんど手に入らないチケットのことしか考えていなかった。そしてあの4人はきっと私たちファンを大事にしてくれるだろうと思っていた。そしてまさにそのようであったと思う。なぜなら口をきいたこともないし、大体実物を見たこともない。かまやつひろしの一言をシャワーを浴びながら(ラジオで1チャンネルは聴けるので)聴き、思わず頷く。頷くといえば連れ合いは早稲田実業の優勝ニュースを見ながら思わず頷いておった。