ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

違うもんだなぁ

 昨日練習にいく直前にテレビのチャンネルをMXに廻したら(実際は廻したりはしないんだけれど)、六大学野球選抜対ヤクルトの野球をやっていた。実際には3-4回しきゃ見られなかったけれど、神宮球場には2万人を超えるファンが入り、テレビでは広岡、荒川、石井と面白そうなメンバーが語る。相変わらず辛口の広岡は「負けるかも知れませんねえ、ヤクルトはバットが振れていませんね。目的意識を持った練習をしていないからでしょう」と相変わらずである。それにしても、選手の大きさがてんで違う。話にならない。さすがにプロってのは凄いなぁ。この秋シーズンも一度も神宮に足を運ばなかった。来年の春こそ、きっと足を運ぶことにしたいなぁ。
 と思ったら朝のテレビで張本がこんなやり方はないだろうと、相変わらずの意見。日本人野球プレイヤーがメジャーに行くことにも反対しているくらいだから、なんでも孤立させておきたいのかね、あの人は。

少しずつ動いてきているのか

 談合が続いて摘発され、酒気帯び運転についての根本的議論が深まり、いじめ自殺から教育委員会の現状がさらけ出される傾向の中にあって、なんだか少しずつこれまで「世の中そんなこともあってしょうがないだろう」としてそれを認めるのが大人だ、として「併せのむ」のが世の常識とされてきた価値観がすこし変わりつつあるような気がしないではない。この傾向の延長線上に一体これが闇のトンネルにまた引きずり込まれていくのか、あるいは青空の下を晴れ晴れと走るのか、いずれかの結論があるはずである。これまでと同じように、議会の過半数を得ていることを背景に、やりたい放題の価値観でもって、教育基本法を筆頭に(これこそ)茶番を繰り返す与党がもし、次回の選挙で圧倒的な勝利を得るのだとしたら、それはこの国の大勢がその方向性を選択するのであるから、それはもう(それこそ)しょうがないのだろう。
 タウンミーティングでのヤラセ質問に対しても「それが会場の質問を引き出すきっかけとなれば」という言い訳をつけながらもその非を全く認めようとしない状況の中で居直るその姿勢が何を物語るのか、という点をあからさまにしないで力任せに乗り切ろうとするのであればもういうことはない。
 教育委員会の形骸化について多く語られるけれども、それじゃぁどう形骸化しているのか、という点について現場の状況を語られているテレビ番組にあたらない。中にはとても素晴らしいものの考え方、取り組み方をしている、あるいは取り組んできた教育委員もいることは確かだ。私がお会いしたことのある教育委員会付きで今はその市の小学校校長をしている方は前向きな委員として知られていた。しかし、例えば東京都の23の各区に設置されている児童相談所も良い例なのだけれども、退職した校長がなんの専門的見解もなく、価値観の点検もなく、あたかも茶飲み場所だとでも勘違いしているような環境を構築してしまうのだとすれば、そしてそれがどこでも当たり前のことになっているのだとしたら、そんな状況を議論することもなく、自らが「教育の憲法」とする教育基本法を改正することに踏み切るのだとしたら、やっぱりそれは官僚の手足と成り下がった立法府を作り出した市民の責任である。

さてこれから

 これまでの一連のスケジュールの準備や心構えやらで振り回されてきたけれども、そろそろそれも一段落してきた。これから、永年の懸案事項の点検と進め方法を真剣に考える時間となりつつあるようである。それでも、誰かに言われたようになるべく外に出て人と接する機会を得ていかなくてはならないと思うのだけれども、そうかといってそれでは作業に支障を来しそうだし、その辺のバランスはなかなか難しそうである。ちょっと地に足をつけて周囲を見回そう。

電化製品の寿命

 4年半前に買ったパソコンがどうやらはずれのようで、既に二度目のドック入りであるが、MDプレイヤーとCDプレイヤーは7-8年前に買ったものだけれども、MDプレイヤーは動くものの反応が遅く、ロングプレイができない。そしてCDプレイヤーはすでにモーターがまわらなくなった。尤もかなり安価なものだったから文句も言えないのかも知れないが、チューナーやカセットプレイヤーがその倍以上の年数動いていることと比べると全く嘘のような寿命の短さである。これはどういうことなんだろう。その辺が電化製品の品質を考える思想の分岐点なんだろうか。バブル前とあとでは何か大きく違う所があるのだろうか。妙に符牒があうのが不思議である。

約束違反

 神戸市で学歴を詐称した公務員が諭旨解雇されたという。しかし、それは前の首相がロンドンでろくすっぽ勉強をしないでいたにもかかわらず留学だか、聴講生だかをしていたという略歴を披瀝していたというどこかの国の話とは違って、短大や大学を卒業していたくせに、中・高卒者対象の職種に応募し、採用されて働いていたということで、むしろ背に腹は替えられないという動機かも知れない。

学歴詐称諭旨免職 神戸市教委の女性職員 神戸新聞2006/07/26 神戸市教委の女性職員(48)が、短大を卒業しているにもかかわらず、最終学歴を高校卒と偽り、受験資格のない同市の採用試験を受験、14年前に採用されていたことが26日、分かった。市は同日付でこの職員を諭旨免職処分にした。市教委によると、女性職員は、中学、高校卒を対象にした1992年度の学校給食調理師採用試験に合格し、小学校の調理師として働いていた。職員は短大卒業後、民間企業で働いていたが、市教委に提出した履歴書には、最終学歴を高卒とし、短大在学期間は「アルバイトをしていた」と説明したという。今年四月に市教委に情報が寄せられ、職員本人に確認して学歴詐称が判明した。市教委は今後、高校卒業から採用までに一定の期間があり、その間の職歴などが証明できない職員について、あらためて学歴を調査する方針。職員の学歴詐称をめぐっては、尼崎市教委の校務員が大学卒を高卒と偽っていたことが判明し、六月に諭旨免職になっている。神戸市教委は「職員として勤務成績もよかったが、勤務を継続させることはふさわしくないと判断した」としている。

 どうやらきっかけはこの辺のようで、4月に神戸市の教育委員会に情報が寄せられ(要するにたれ込みがあって)内偵でもしていたのだろうか。で前月に尼崎で同様な件が明確になったので、神戸市も踏み切ったということなんだろうか。

 学歴詐称新たに十数人 内部調査で発覚 神戸市 神戸新聞 2006/11/02 神戸市の学校職員が学歴を偽って採用されていた問題を受け、同市教委が実施した内部調査で、新たに十数人に学歴詐称の疑いがあることが2日、分かった。このうち大半は不正が確認され、既に諭旨免職処分となっている。市は近く結果を公表するとともに、調査対象を市教委以外にも拡大する方針。調査は高校卒業後、採用までに一定期間のある職員を対象に聞き取り形式で実施した。市教委によると、今回発覚したのは給食調理師ら。いずれも大学や短大を卒業しているのに、履歴書などで高卒と偽り、中学・高校卒業枠で受験し、採用されていたという。同問題をめぐっては、給食調理師の女性が七月、学歴を偽っていたことが発覚し、市教委が諭旨免職処分にしていた。市は複数の職員が学歴を偽っていたことを重視し、他の部局でも採用時に不正がなかったかなどを調べる。

 この記事を見ると神戸新聞は「市は近く結果を発表する」と書いていて、翌日にその記事が出ると云うことは既にそれまでにおおよそをつかんでいたがなかなか踏み切れなかったのだけれども、市が翌日に公表することを(多分クラブへの通告で)知り、それまでにつかんでいることを記事にした、ということだろう。

学歴詐称で就職 学校職員13人を諭旨免職 神戸 神戸新聞 2006/11/03
 神戸市の学校職員による学歴詐称問題で、同市教委は2日、1978-2005年に採用した32-60歳の調理師と管理員の計13人を諭旨免職処分にした、と発表した。別の調理師による学歴詐称採用を受け、9月以降に実施した内部調査で不正が発覚。いずれも大学や短大を卒業して本来は受験資格がないのに、最終学歴を高卒と偽り採用されていた。市教委は「法律を守る公務員としてあってはならないこと」としている。

 解雇された人たちの中には28年にもわたって働いてきた人もいる。市の発表のように高校を卒業したあとの空白期間を何らかの理由で説明して面接を乗り切ってきたようだ。
 本年10月以降採用の「選考案内」には:「イ 中学校又は高等学校を卒業した人及び卒業見込みの人(大学、短期大学及び高等専門学校を卒業した人又は平成19年3月までに(中学又は高校を)*1卒業する見込みの人は受験できません。」としてある。当時からずっとこの規定であったのであれば、これは規定違反ということになって辞めさせられても致し方がないということだろう。つまり、中・高卒者へのアファーマティブ・アクションのひとつだということになるわけである。それにしても上の学歴詐称の話は聞くがその逆でクビになるとはなぁ。しかし、氷河期に短大、大学を卒業した23-4歳から30歳くらいまでの人たちにとっては、それこそ差別であるといいたいだろうと思う。

*1:これが入っていないと読む人には分かりにくい。

麻布プリンスホテル

 六本木にあるプリンスホテルが今年のクリスマスで営業を終了して海外のいくつかのホテルと同じように売却するそうだ。谷町のジャンクションの傍にあって首都高の環状線芝公園の方から来て渋谷にわかれていくとぐるぅっと見ていく格好になる。かつてはここにはフィンランド領事館が建っていたそうで、1976年に南麻布三丁目にあった麻布プリンスホテルと等価交換したものだそうだ。私は六本木プリンスホテルには一度も足を踏み入れたことがないから、別にこの閉鎖の話を聞いてもなんの感慨もないが、小さいけれども瀟洒な隠れ家とでもいえるような当時の麻布プリンスホテルには、友人が結婚式を挙げ、披露宴を開いたことがあって何となく華やかな印象がある。小さいながらもプールまであって、あのまま残しておきたいようなホテルだった。その披露宴の司会をしたことを想い出し、しかしながら数年後に彼らが別れてしまい、そのどちらからも既に連絡が絶えてもう10数年になるということまで想い出した。一粒種も元気でおられればとっくに成人しておられることだろう。そうしたちょっと華やかでいて、裏寂しい想い出がある。
 そういえばこれまでに何組もの結婚披露宴の司会をさせて貰ったけれど、とても残念なのはその後別れてしまってそれすらこっちが知らなかったりするときだ。それはなんだか便利につかわれただけなのかと残念な気持ちになったりするけれど、所詮、そういう繋がりでしかなかったのだから、それは諦めるしかない。人と人の繋がりは、一方が思いこんでいたとしても、他方がそれほどでもないというのはいくらでもある。0.5+1.5=2.0の時もあれば1.0+1.0=2.0の時もあって、両方とも2.0なんだけれど、実はその中のバランスは微妙だったりするのかも知れない。
 嫌がられていたり、煙たがられていたりする時、とても残念で侘びしいことだけれども、それ以上近づかない方がよい。それが身のためだし、それから先は何も生まれない。よしんばそれがどちらかの誤解に基づいていたとしても、もうそれ以上の理解を得ようとするのはやめた方がよい。ろくな結果は生まれないだろう。