ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

少しずつ動いてきているのか

 談合が続いて摘発され、酒気帯び運転についての根本的議論が深まり、いじめ自殺から教育委員会の現状がさらけ出される傾向の中にあって、なんだか少しずつこれまで「世の中そんなこともあってしょうがないだろう」としてそれを認めるのが大人だ、として「併せのむ」のが世の常識とされてきた価値観がすこし変わりつつあるような気がしないではない。この傾向の延長線上に一体これが闇のトンネルにまた引きずり込まれていくのか、あるいは青空の下を晴れ晴れと走るのか、いずれかの結論があるはずである。これまでと同じように、議会の過半数を得ていることを背景に、やりたい放題の価値観でもって、教育基本法を筆頭に(これこそ)茶番を繰り返す与党がもし、次回の選挙で圧倒的な勝利を得るのだとしたら、それはこの国の大勢がその方向性を選択するのであるから、それはもう(それこそ)しょうがないのだろう。
 タウンミーティングでのヤラセ質問に対しても「それが会場の質問を引き出すきっかけとなれば」という言い訳をつけながらもその非を全く認めようとしない状況の中で居直るその姿勢が何を物語るのか、という点をあからさまにしないで力任せに乗り切ろうとするのであればもういうことはない。
 教育委員会の形骸化について多く語られるけれども、それじゃぁどう形骸化しているのか、という点について現場の状況を語られているテレビ番組にあたらない。中にはとても素晴らしいものの考え方、取り組み方をしている、あるいは取り組んできた教育委員もいることは確かだ。私がお会いしたことのある教育委員会付きで今はその市の小学校校長をしている方は前向きな委員として知られていた。しかし、例えば東京都の23の各区に設置されている児童相談所も良い例なのだけれども、退職した校長がなんの専門的見解もなく、価値観の点検もなく、あたかも茶飲み場所だとでも勘違いしているような環境を構築してしまうのだとすれば、そしてそれがどこでも当たり前のことになっているのだとしたら、そんな状況を議論することもなく、自らが「教育の憲法」とする教育基本法を改正することに踏み切るのだとしたら、やっぱりそれは官僚の手足と成り下がった立法府を作り出した市民の責任である。