ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日のレクチャー

 今月から保阪正康のレクチャーは新しい回に入る。それを全く忘れていて(自分の姿勢がマンネリ化しているのかも知れないけれど)、いつものように昭和史年表なんかを鞄に偲ばせていってちょっと恥ずかしい。机の上に出さなくて良かった。
 今日からはその昭和史を語る上でどうしても遡ることが必要である大正期についての話を聴く。先日保阪と原武史の対談を聴いてなるほどと思っていたから興味深い。右耳の心配があったので、できるだけ前の右側に座ろうと思っていたが、一番前しか空いてなくて、仕方がないから一番前に座る。参考に上げられた文献をつまみ食いをするとやはり明治天皇崩御から大正天皇の時代への転換に大きな節目を迎えていたことがわかる。
 大正期の話を聴けば聴くほど、昭和期前半のこの国の価値観というものがどれほど孤立した価値観であったかという印象が強くなる。大正デモクラシーを知ると益々その感を強く持つ。
 今年は明治末期の生まれの人々が話題になっている。それは松本清張であり、大岡昇平であり、太宰治(ともに明治42年-1909年生まれ)である。彼らのリベラリズムはその後大正後半期に生まれ昭和の戦争で活躍した世代に対して距離を置きたがることに保阪は気がつくという。それほど(そんな表現が当たっているかどうかはわからないが)その後のこの国の考え方は変わったというのだ。
 考えてみると私の死んだオヤジは明治44年で彼らの2年下であり、当時は僅か4%でしかなかった大学への進学者であったことを考えると、彼の書棚にあった本の傾向や、彼が何かにつけて反体制的表現を好んでいたことがなんとなくこの話で氷解するような気がした。彼は別段共産主義者であったわけでもないし、ましてやアナーキストであったわけでもないが、(本当かどうか、ひとつのポーズであった可能性もないではないが)彼の従軍記を読むと成る可く軍隊内で出世しないような道を歩んできていたことが知れる。
 彼らに対して大正後期生まれの昭和期に軍を動かしていた世代は少年期にスペイン風邪が流行ったこともあり、最も多い戦争犠牲を出した世代で戦後は同年齢者がとても少なかった世代である。それが丁度うちの死んだおふくろの世代に当たる。おふくろは晩年認知症傾向を強めていたけれど、そんな中でも同年齢の男性が白い予科練の制服で現れたときのことを語っていた。
保阪が語っていたアイヒマンへの尋問記録という本はこれ。

アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録

アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録

3570円
「本書を翻訳した小俣和一郎氏は精神科医であるとともに、ナチズムと精神医学に関する著作が多いことで広く知られている」とAmazonのレビューに記されている。原著のインタビュアーは女性。
 ここで、アイヒマンはインタビュアーに「私の家族全員があなたに殺された」と指摘されてうろたえるのだそうだ。あれだけのユダヤ人を葬り去っていてその現実感を失っていたアイヒマンに保阪は驚いたのだそうだ。値段でちょっと手が出なかった。

 レクチャーの最後に後ろの方の方が質問に立たれたので振り返るとそっちの方にどうも見たことのあるような男性が見える。しかし、もしその方だったとしてももう何年もお会いしていなくて、自信がない。とうとうお声を掛けずに帰ってきてしまった。気になる。

 紀伊国屋本店で

ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

 死刑になりたくて罪を犯す人たちを何人かあげることができるが、彼らは強制的な死の瞬間にもそう思って死んでいくのだろうか。そうだとしたら死刑があるからこそ罪を犯す輩はいつまでも続くことになる。つまり死刑は犯罪の抑止力にならないことになる。冒頭部分を読んで率直に思った感想である。読み進むうちにこの考えは変わるのだろうか。宮崎勤小林薫宅間守が登場する。
 岩波の「思考のフロンティア」シリーズを見たかったのだけれど肝心のシリーズの名前を想い出せなくてあえなく退却。こういう事が想い出せないのである。
 ジュンク堂新宿店で
「悼詞」鶴見俊輔著 編集グループSURE 2008.11:この出版社の本は直接発注か、書店で注文しないと手に入らない。それが京都繋がりなのか、ジュンク堂で眼にしてすぐ入手。そうだ、京都に行ったときにいってみれば良かった。
巻頭にこんな詩が書いてある。

人は
死ぬからえらい
どの人も
死ぬからえらい


わたしは
生きているので
これまでに
死んだ人たちを
たたえる。


さらに遠く
頂点は
あるらしいけれど
その姿は
見えない。

唸るしかない。楽しみだ。

 帰りに紀伊国屋地下の「水山」に入り、天麩羅ぶっかけを食べるも、カメラを忘れて写真がない。しばらくは入らないうちに新メニューができている。従来のチャンポンに加えて高い「長崎チャンポン」なんてのができていて紛らわしい。今日は気候がとても暖かかったので、ぶっかけにしたけれど、やっぱりチャンポンが旨い。
このビルの同じ階にあるパスタの店「JINJIN」はこの店の姉妹店だという。今度はあっちにしてみよう。

Baltimore Orioles v.s. New York Yankees

 朝からNHK総合テレビがこの試合を中継し、NHK BS-1がBoston Redsocks v.s. Tampa Bay Raysの中継をする。日頃殆どNPBの中継をしないNHKMLBを同時に二試合も中継するのは如何なものかと考え込むが、こっちの方が面白いんだからしょうがないか。しかし、朝から外国の野球を見せられるのはちょっと考えちゃう。
 上原の投球は球数が多いけれど、なかなかテンポがよいが、キャッチャーの肩が良くないのか、やたら走られる。5回で被安打5,自責点1,防御率1.80。試合の方は後続投手陣が打たれてぎりぎり7-5でヤンキースに勝つ。ヤンキースの松井は無安打。Baltimoreは2連勝だが、Yankeesは二連敗。
 上原のおかげで、弱小Baltimoreはこれから日本でも知られるようになることだろう。

小泉の賞味期間

 昨日のホテルグランヴィア京都で開催された京都「正論」懇話会第24回講演会兼第247回全国縦断「正論」京都講演会(この発言が如何なる集まりで飛び出したかを報じているのは主宰の産経だけ)で小泉純一郎が講演をしたと朝から報道されている。

かんぽの宿」売却問題の本質は、役所がやる必要のない事業をやったことだ。運営主体の旧簡易保険福祉事業団の理事長は旧郵政省の事務次官経験者で、役所は天下り先の確保策を考えた。民間に任せておけばいいものを「加入者の福祉」ということで造った。無駄な仕事をなくす行財政改革がいかに難しいかをかんぽの宿は示している。
 これから行財政改革の必要性が弱まることはない。今、不況だからばらまいているが、いずれ、返済のためもっと多くの税金を使わなければならなくなる。かんぽの宿の売却価格が高いか低いかの問題ではなく、国民の負担をどう軽減するか、福祉とは何かを考えなければいけないのに、マスコミはそれを教えない。(msn産経ニュース2009.4.8 20:26)

 結論から言えば、確かに「かんぽの宿」は官がなにゆえこんな保養施設を、それも赤字で経営しなくてはならなかったのか、ということになるかも知れない。
 しかし、簡易保険は、人口集住地区でしか効率的営業を行ってこなかった民間保険会社に比べて、全国どこででも扱いができる郵便事業にプラスしてのサービスとして運営されていたはずだ。ここが年金のために使われなくてはならない資金をじゃぶじゃぶ垂れ流しにしたグリンピアとは根本的に異なることを明確にしておかなくてはならない。
 しかも「かんぽの宿」はその稼働率で比べたら遙かに高稼働率をたたき出していたし、週刊誌等で報じられていたとおりに引退者にはよく利用されていたのは知られている。それでも簡保加入者の特典付き施設だったからこその利用料金設定がそもそも安価であったから赤字運営であったこともグリンピアとは根本的に異なる。もちろんその経営がはなはだ役所的な感覚であったことは否めない。
 小泉純一郎は上の講演会で、「売却(の価格)が高過ぎるとか安過ぎるという問題ではない。これは役所がやらないといけない事業か、しっかり国民は見極めないといけない(時事ドットコム(2009/04/08-17:51)」と発言しているが、売却価格は非常に重要な話だ。なにしろ財産を民間に安く売るのかより高く売るのかという問題なんだから、それを云々するのは意味がないというのならば小泉が補填してもらおうじゃないか。そのうえ、「国民が見極めろ」といっている。あぁ、良いとも、良いとも、ここから国民は見極めていくぞ。こんなあまりにも不完全な年金改革を「百年続く年金だ」といい、その後の国会議員、官僚の年金を民間年金制度と一本化すると言い放ってその後なにもしない与党を国民は見極めるぞ。
 君には「福祉とはなにか」なんていうテーマを語る資格は明確にないだろう。
 彼の賞味期間はもう切れている。マスコミはもう相手にするな。するなら港区某有名私立大経済学部の教授に戻って平然としている男と共にその責任を論ぜよ。