ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小泉の賞味期間

 昨日のホテルグランヴィア京都で開催された京都「正論」懇話会第24回講演会兼第247回全国縦断「正論」京都講演会(この発言が如何なる集まりで飛び出したかを報じているのは主宰の産経だけ)で小泉純一郎が講演をしたと朝から報道されている。

かんぽの宿」売却問題の本質は、役所がやる必要のない事業をやったことだ。運営主体の旧簡易保険福祉事業団の理事長は旧郵政省の事務次官経験者で、役所は天下り先の確保策を考えた。民間に任せておけばいいものを「加入者の福祉」ということで造った。無駄な仕事をなくす行財政改革がいかに難しいかをかんぽの宿は示している。
 これから行財政改革の必要性が弱まることはない。今、不況だからばらまいているが、いずれ、返済のためもっと多くの税金を使わなければならなくなる。かんぽの宿の売却価格が高いか低いかの問題ではなく、国民の負担をどう軽減するか、福祉とは何かを考えなければいけないのに、マスコミはそれを教えない。(msn産経ニュース2009.4.8 20:26)

 結論から言えば、確かに「かんぽの宿」は官がなにゆえこんな保養施設を、それも赤字で経営しなくてはならなかったのか、ということになるかも知れない。
 しかし、簡易保険は、人口集住地区でしか効率的営業を行ってこなかった民間保険会社に比べて、全国どこででも扱いができる郵便事業にプラスしてのサービスとして運営されていたはずだ。ここが年金のために使われなくてはならない資金をじゃぶじゃぶ垂れ流しにしたグリンピアとは根本的に異なることを明確にしておかなくてはならない。
 しかも「かんぽの宿」はその稼働率で比べたら遙かに高稼働率をたたき出していたし、週刊誌等で報じられていたとおりに引退者にはよく利用されていたのは知られている。それでも簡保加入者の特典付き施設だったからこその利用料金設定がそもそも安価であったから赤字運営であったこともグリンピアとは根本的に異なる。もちろんその経営がはなはだ役所的な感覚であったことは否めない。
 小泉純一郎は上の講演会で、「売却(の価格)が高過ぎるとか安過ぎるという問題ではない。これは役所がやらないといけない事業か、しっかり国民は見極めないといけない(時事ドットコム(2009/04/08-17:51)」と発言しているが、売却価格は非常に重要な話だ。なにしろ財産を民間に安く売るのかより高く売るのかという問題なんだから、それを云々するのは意味がないというのならば小泉が補填してもらおうじゃないか。そのうえ、「国民が見極めろ」といっている。あぁ、良いとも、良いとも、ここから国民は見極めていくぞ。こんなあまりにも不完全な年金改革を「百年続く年金だ」といい、その後の国会議員、官僚の年金を民間年金制度と一本化すると言い放ってその後なにもしない与党を国民は見極めるぞ。
 君には「福祉とはなにか」なんていうテーマを語る資格は明確にないだろう。
 彼の賞味期間はもう切れている。マスコミはもう相手にするな。するなら港区某有名私立大経済学部の教授に戻って平然としている男と共にその責任を論ぜよ。