ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

原信夫とシャープス & フラッツ

 TBSラジオ土曜日といえば永六輔の「土曜ワイド」。昼飯の支度をしていて、全然聴いていなかったんだけれど、昼飯終わってからラジオをつけたら原信夫が出てきた。原信夫とシャープス & フラッツは今年の7月25日にNHKホール、そして翌日の神奈川県民ホールでおつもり、終わり、解散、である。
 2009年6月13日(土)群馬・笠懸野文化ホールパル(JR両毛線岩宿駅」から歩いて15分 開場 15:30 開演 16:00 S席¥6,500、A席¥5,500 当日:S席¥7,000、A席¥6,000)はまだ切符があるらしい。問合せ:桐生音協0277-53-3133 /群馬テレビ027-219-0006。
 原信夫は1926年11月19日生まれだから今もう既に81歳だ。1943年、大日本帝國海軍軍楽隊入隊。時にまだ16-7歳だろうか。終戦後ジャズに手を染める。本名塚原信夫。この辺のデーターは全部ウィッキペディア。驚くべき事に彼は未だに歯が全部自前だという。だからだろうか、滑舌ばっちりで喋っているのを聴いていると全然変わっていない。
 私が学生時代には大学のサークルが主催するダンス・パーティ(いわゆるダンパ)が様々なところで、サークル(当時はクラブといったけれど)の資金集めに開かれた。高輪プリンスホテルのボウル・ルーム、大手町のサンケイホールなんてところに出掛けた記憶がたくさんある。そんなときバンドがシャープだったことが何回もある。しかし、私たちはシャープのメンバー全員を知りはしないのだから原信夫がいさえすればシャープだと思っているんだけれど、噂では学生のパーティーには二軍が来ているんだよといわれた記憶がある。それが本当だったのかどうか私は確かめたことがないけれど、確かにあんな仕事をシャープがちゃんとやっていてくれたのかといわれると自信がない。
 今日のラジオには前半に大橋巨泉が出ていたんだそうでみんな一緒に出てくれたら良かったのになぁとつくづくと思う。シャープが終わりということで最近すっかり涙もろくなった永六輔はもうすっかり涙声だ。つられてしまいそうだ。
 ここにも書いたけれど、以前にバリトン・サックスの原田忠幸(1936年7月20日 京都生まれ。父はジミー原田(d)、兄は原田イサム(d) - ウィッキペディア)の話を聴いたとき、彼がなんでバリトンなんて難しい楽器を始めたのかとお伺いしたら、「原さんだよ、君はバリトンをやれといわれたんだけれど、そんな楽器はありませんよと云ったら原さんが次の日に「ほら」とバリトン・サックスを持ってきたんだよ」という話だった。生まれ年を見ると原信夫の方が10歳も上だ。
 この頃の人たちは皆さん、米軍のキャンプで鍛えてきたから腕がたつ。
 ビッグ・バンドをライブで聴かなくなって久しい。最後に聴いたのがどのバンドで何時のことか想い出せない。シャープがドン・エリスのバンドの影響を受けてエレキになったことも記憶にある。なにしろ昔のカウント・べージーなんかはギターだってアコースティックだった。そういえば1970年のSan FranciscoのBasin Street WestでWoody Herman Orchestraを聴いたことを突然思いだした。
 Harold Jonesが叩いているビッグ・バンドを死ぬまでに(私も彼も)一度聴いておきたい気持ちがするなぁ。一体どこで聴くことができるというのだろうか。日本に来ないかと切望する。
 今はCDで、あるいはiTunesのラジオで「raidoio jazz bigband」を愉しんでいる。
 今日の話の中にSammy Davis Jr.の来日公演で「Lady is a trump」を唄った話が出た。頭の中で彼の声量のある彼の歌が、そして後ろのバンドの切れの良い伴奏がなった。

まさか

 昨日の夜というか、今朝未明というか(「未明」ということばは人によって思い浮かぶ風景が違うだろうけれど、私にとってはなぜか1941年12月8日の「帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」が思い浮かぶのが不思議なり)に寝床の中でラジオをつけたらテレビ朝日で「朝まで生テレビ」が進行していた。眠りに落ちたり、ハッと目が覚めたりで殆ど記憶にないのだけれど、なにやら聴いた覚えのある声がして、なんだかいやぁ〜〜な気分になった。田母神の声だったのだ。とうとう田原は馬脚を現してこんな奴までメンバーに加えたということなのか。抑揚のないしゃべり方が鼻につく田母神の得意げな顔が目に浮かぶようだ。最後は眠りに落ちて声を聴かなくて済んで良かった。核武装だなんて本気でいっているというのか。本気で他国に対して核武装をする意思だって持っているんだと示していくことにこそ意味があるんだ、なんてことを思っているんだというのか。・・・あ、まともに取り合ったりしないことにしたんだった。

証言記録

 何時も土曜日は金曜日夜のテレビ(タモリ倶楽部)なんかがあるものだから遅くなって、ピーター・バラカンのラジオを聞くのも途中からでやっとだ。
 今日はNHK BS-hiで『証言記録 兵士たちの戦争「重爆撃機 攻撃ハ特攻トス〜陸軍飛行第62戦隊〜」』があったので、7時半頃には起きた。それも自然に起きた。そういえばもう何ヶ月も目覚まし時計を鳴らしたことがない。
 重爆撃機の装備を換えて大きな爆弾を載せて飛び立つ特攻機の話だ。攻撃の朝、予定機が燃えてしまっていて、他のクルーの事情聴取もなしにクルーのひとりだった朝鮮半島出身兵が憲兵に連行された話。
 天候が悪化して帰投した話。復員後は誰にも元特攻だったことをいえず、両親にも話さず、両親はそんなことを全く知らないままに他界した話。「死にたくない」と打ち明けることのできた戦友の話。