ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ぶらさがり

 TBSテレビの日曜日朝6時からの「時事放談」に自民党加藤紘一が登場するそうだ。麻生某のぶら下がり会見を「傲慢だ」と録画で批判したらしい。それに対して麻生某はこう答えたと産経新聞が報じている。

−首相と私たちとのやりとりについてだが
  麻生某「やりとり?」
−今日、加藤紘一元幹事長が
  麻生「加藤紘一元幹事長…、はい」
−テレビの収録番組で「最近の首相のやりとりが傲慢な態度だ。首相や自民党総裁がああいう態度で話しているのは、少し考え込んでしまう。首相の孫として生まれた方なので分からなくもないが、目線が高いのではないか」と批判しているが
  麻生某「(頭をかいて笑う)あのー、ぼくはこれは立ち話ですから。これは記者会見とは違うんでしょ。ちょっと確認しておこう」
−そうですね
  麻生某「これ、止まっているけど。立ち話。ね。歩きながらの話、立ち話。これは記者会見じゃないんだと、僕はそう理解しています。これ正しいね。いや、正しいね」
−正しいです
  麻生某「正しい。ありがとう。なんとなく答えたことはないなんて、いつも言われちゃうんで。立ち話。立ち話というのは普通は歩きながらしている話なので、普通に気安くしゃべるものだと、僕は思っています。みんなテレビの前できちっとしてやる種類のものではないと思っていますから、なるべく普通にしゃべるように努めています。
 (ぶら下がり取材をする記者は)だいたい私の息子さんぐらいの世代ですから。ですから、普通に気安くしゃべるのを努めているんですけども、そういうことではないと言っておられる。人が言われる通りにやるとあんまりアレがないんですが。どの場面を見られて、加藤先生がそう言われたかは、ちょっと分かっておられるんですか?」
−例えば、最近の17日のやりとりで、谷内正太郎政府代表の「3.5島発言」の質問が出たとき、「内容を承知していませんし、毎日新聞読んでいませんから答えようがありません」と答えたが
  麻生某「だけど、それは、谷内さんの発言内容を毎日新聞でしたっけ? なんか出されたのを、僕は全然読んでないから。読んでないというのを、あなただったらどう答えるのが正しい答え方ですか?」
−大きく報じていたので、読んでいたのではないかと皆が思ったのではないかということだが
  麻生某「そうすると、今のような『読んでません』というのではなくて、『読んでいるべきだった』ということですか?」
−そういう意見もあるのではないかと
  麻生某「読んでいないのに、読んでいたかのごとき話をするのはちょっと危ないと思います。『読んでないものは読んでない』とお答えする以外、他に方法はないと思いますけどね」(msn産経ニュース2009.4.24 20:45)

 いやいや、いつもとは違って随分慎重じゃないの。立ち話だったらどんなに不遜な態度を取ってもいい訳?テレビや新聞に報じられるに決まっていて、それを見ているのは市民、国民、有権者なんだよね。

近頃の子どもの名前

 mixiが教えてくれたのだけれど、こちらの記事(中村修治)が私が最近考えていたこととぴったりな話題だった。近頃産まれる子どもの名前がすごいことになっているという話だ。確かに若い人たちから戴いた年賀状に出てくるお子さんの名前はふりがながないとなんて読んで良いのかわからない名前ばっかりだ。「英雄→ひいろ」「樹里亜菜→じゅりあな」なんてふざけているとしか思えない。「葵→あおい」なんてあんたは徳川か!といいそうだ。

 また盛岡市20日開かれた児童虐待問題特別研修会で、大阪大学の西沢哲・助教授(大学院人間科学研究科)が保健師ら約百三十人を前に講演し、ユニークな持論を披露した。

 西沢助教授は、セラピストとしての豊富な実務経験を基に講演した。その中で、西沢助教授は「凝った名前には、子どもを支配したいという気持ちが出ている」と指摘し、子育てがうまくいかないと、怒りが子どもに向けられがちな背景を説明。さらに「凝った名前に横やりを入れる人が周囲におらず、虐待のストッパー(歯止め役)がいないことの現れ」などと実例を交えながら説明した。また、西沢助教授は「最近は、まるで暴走族のチーム名のような当て字の名も多いが、名付けという行為1つにも家庭の様子が見て取れる」と話した。

 少し暴論の気もするが、一理はある。子どもの未来に託すことは、社会性よりも個性。「自分らしく生きて欲しい」という想いが、「読めない名前」の源泉。「自分らしく生きて欲しい」の裏側には、「自分らしく生きることができなかった自分」「自分らしく生きることを許さなかった親への反発」がある。だから、子育てがうまく行かなかった時、歯止めがない。ストレスが、その名を付けた我が子に向かう。

 西澤哲らしい見解で面白い。まるで暴走族のような当て字というのは私も「ここまで来たらまさにあれじゃねぇか」と思っていたことで、こういう発想は充分に的を射ている可能性が高い。
 しかしながら実際には全部が全部そうとばかりはいえないだろうとわたしは思っている。
 祖父母に当たる年齢が概ねわれわれの世代だったりするわけだけれど、この世代は(ほうら、また一括りにしていってしまうという間違いを犯そうとしてるけれど)、こういう点では相当にいい加減だ。なにしろ自分たちが「既成概念をぶっ飛ばす」と思ってきたから「いいんじゃないか!」と云ってしまいそうだ。「そんなの世間に笑われるぞ!」なんて自分がとてつもなく古い意識の持ち主だと云われるような気がして云わなかったりする。
 核家族化が究極の状態を迎えつつあり、三世代同居がどんどん減少する中で、確かに歯止めが効かなくなる世の中が生まれつつある。
 西澤哲に聞かせてもらった彼のレクチャーには常に「飲み屋の与太話だと思って聞いて欲しいんだけれど」という前ぶりがついて非常に興味深い彼の仮設がいくつもついていた。それがとても参考になって彼のレクチャーは昼飯のあとでありながら教室は何時も一杯だった。
 そういえば映画「ミルク」のクレジット・ロールを見ていたらSean Pennのアシスタントとして日本人の名前が出ていた。その名前をすっかり忘れてしまったのだけれど、そのファースト・ネームを「今時珍しい古い名前だなぁ」といったのを思い出す。「うめ」とか「とめ」とはいわないまでも。

 交通会館の三省堂の前を通りかかったので入ったら、やっぱりこれを入手してしまったのであった。たった一日でも我慢できなかったので、これはこれでよろしいのではないかと思うのである。

マッカーサー―フィリピン統治から日本占領へ (中公新書)

マッカーサー―フィリピン統治から日本占領へ (中公新書)

 昨日、今日とちょっと評判をつまみ食いしたところによるとやっぱり岩波現代文庫から出ている「国民の天皇」は読んでおいても良さそうだ。

街へ

 久しぶりに昼飯は良く行くお店で鮨にした。11時半前に入ったのに、もう既にお二人の先客。握りを頼む。後から後からどんどん入ってきて、私が食べ終わったときには満席で3-4人の男性(多分ひとり客ばかり)が椅子に座って席が空くのを待っている。あんまり長居をしてはならないと無駄なことをしないでさっさと食べた。旨かったから何もいうことはなかった。慌てて出てきたらまだ12時前だった。
 有楽町駅そばの大規模家電量販店に入って液晶テレビを見ていると愛想の良い人を捕まえたのでこれまで疑問だったことを全部聴いてしまう。ケーブルでテレビを見ているのであれば、ブルーレイ内蔵テレビを選択してはだめだと。効率は悪いけれど別々のタイプにするべきだと。光ファイバーで繋げるならまだしもケーブルテレビでの接続はどうなんだろう。この人はとても詳しい人で、丁寧でこの量販店でこんな人にこれまで遭遇したことがなかった。良く聴くとメーカーから派遣されてきている人だった。買うときはこの人だと決めた。その前にプロバイダーを替えるかどうかの検討をしなくちゃ。頭が痛い。なぜならメルアドが変わるからだ。

映画「ミルク」

 有楽町の新しいビル「イトーシア」の別館4階にある映画館「シネマ・カノン 有楽町2丁目-1」でSean Penn主演、「MILK」を見る。162席の大変に綺麗な素晴らしいシートの小屋。この椅子大きすぎて私のようなちびには持てあましてかえって快適でない。なるほど飛行機もビジネスクラスに乗る必要がないのが良くわかる。
 Harvey Milkを演じたSean Pennはアカデミー主演男優賞である。Sean Pennの映画といえば最近では「Into the Wild」だけれども、「I'm Sam」も良かった。そして未だに見ていない「Sweet and Lowdown (ギター弾きの恋)」はやっぱり見てみたいような、しかし、ストーリーからするとちょっと見たくないような微妙な雰囲気である。
 1971年のNew YorkからSan FranciscoにHarveyとScottが移ってきてから始まる話だけれど、その僅か一年前にSan FranciscoのPine & Taylorの友人宅に2ヶ月ほど滞在していた私にとってはずいぶんと身近に見える話だった。舞台はMarket Stから南東の、Castroという当時私が知り合いからはあんまり行くんじゃないといわれていた地域だ。それだからこそというべきか、あの近辺は若者のサブカルチャー真っ盛りだったといっても良いかも知れない。
 当時、San Franciscoの中心地だったUnion Squareに面してある老舗デパートのMacy'sではゲイの従業員を首にした。この映画でもわかるように当時はいわゆる性同一障害者は違法であったし、「wrong」な事だったわけだ。しかし、1970年当時でもそのMacy'sのUnion Squareに面した入り口の外で首になった元従業員達が整然と「Gay Is Beautiful」「Gay Power」と書いたプラカードを持ってデモをしていた。それに気がついた私は彼らが正々堂々と真正面から訴えていたことに大変に驚いた。
 それまでに私が知っていたゲイといえば「シスター・ボーイ」といわれた人たちのことくらいで、それは映画の中だけの事でしかなかった。もちろんもう既に新宿二丁目にはその種の呑み屋があることは知っていたし、そこに入り浸っている奴のことも知っていた。しかし、世間知らずの私には全く現実感がなかったから、大層驚いたことは事実だ。そこから周囲の人間に聴いて、このSan Franciscoが相当に開けている、進んでいるんだということを知った。もちろんヒッピー・ムーブメントでHaight & Ashburyあたりが盛り上がっていることは音楽シーンを追いかけていたから知っていた。
 その点では私はsquareだから理解はできないけれど、人間の差別、偏見の排除、人権の確立という意味でこの映画はひとつの大きなタイトルだといって良いだろう。しかし、同じカリフォルニアで、ゲイの婚姻についての住民投票が裁判所の違法判決のあとにもかかわらず、それを否定したのはとてもシニカルな状況を作り出してしまった。一昨日の「Toyo's Camera」にも登場したジョージ・タケイはあの判決によってcoming outしたのにもかかわらず、失意にいると伝えられる。

新入社員

 テレビをつけたらそこら中で草なぎ剛の話ばかりで、もういいよって思っていた。
 すると「初月給ですが・・」なんていっている。へぇ、今時は最初の月から給料が出るんだ、良いなぁと思ったのだ。というのは私が就職した会社は働いた月の月末締め翌月22日支払いが原則だったので、4月は給料が出なかった。初めて給料が出たのが5月22日だった。だからそれまでの50日ほど収入がなかった。前半は自宅から研修に通ったので金はかからなかった。4月末に赴任先が発表されて引っ越しになったものだから、支度金が出た。それで息を継いだ。5月22日は土曜日だった。当時はうちの会社は第3土曜日だけがお休みになったばかりだったので、第4土曜日のこの日は出勤日だったはずで、この日に給料が出たんじゃないかと思うけれど、全く覚えていない。当時はもちろん現金が茶封筒に入って渡された。
 その給料の中から親に何か買おうかも思ったけれど、何もしないでいたらおやじが「こんな何もできない奴にこんな金をもらって会社に申し訳ない」といって1/4をよこせといった。理屈に合わないけれど家に置いてきた記憶がある。しかし、それが何時だったのかも記憶にない。
 二食付きの独身寮にいたからあんまり金がかかるわけでもないのだけれど、給料日の一週間前になると千円札一枚しかなくて、どこにも出掛けなかった。作業服を着て会社に行き、帰ってきたら即パジャマに着替えてうろうろしていた。お洒落もへったくれもない。とにかくどんぶり飯をおかわりして腹を黙らせるという日々だった。愉しみといえば寮の傍の八百屋の店先の蜜柑を買ってくるくらいだった。
 それくらいだからテレビもなければラジカセもなく、もちろん車だって持ってない。フロアーに一台あるテレビを見て、先輩の部屋でコップ酒を呑むくらいだ。それでも当時はとても恵まれた環境だった。今から考えてみれば一体何が生き甲斐だったのかと思うけれど、なんだか前途洋々たる気分になっていたのが不思議だ。なんだか目の前に永遠に続くような時間が広がっている気分がしていた。たった半世紀かそこらの時間に過ぎないというのに。それは一体何だったんだろうか。
 ひとつには忙しい仕事を片付ける日々だったのに、その仕事が次から次にそれまで見たこともないことが起きる、ということにもあったかも知れない。大した能力もないのに、世の中の仕組みに自分が少しずつ適応していくのが成長の証のような気がしていたのかも知れない。今から考えると大したことをマスターしたわけでもないのに。
 あの頃に、結局最後の最後は人間が地道にひとつひとつ拾っていかないと仕事は片付かないのだということに気づいたのも確かだ。もうあの頃のことは忘れていたはずなのに、気がついたらあの頃気がついたことだけでここまで突っ走ってきたのかも知れない。ま、最近はゆるゆる歩いているんだけれどね。

なんとまぁ

 あっという間に4月が終わりになる。来月はもう5月でなんだか時計の秒針が音を立てて、カチカチとどんどん進んでいっているという気分になる。お〜い、待ってくれぇ〜と叫びたい。あれもやりたい、これもやりたい、あれをどうにかしなくてはならない、これは決めなくちゃならないと次から次にやらなくてはならないことがつながっているという気分だ。
 だけれども、そんなことをやらないと社会での存在が完璧でなかったりするものだから、えぇ〜い、もう良いからこんな事は放り出してしまおう!という人が出てきてもおかしくないと思う。あの人がこんな言葉を口にしていたから謝っておいた方が良いとか、あの人が心配してくれていたから報告しておいた方が良いとか、あれの届けを早いうちにしておかないと、やらなきゃいけないことをやっていなかったことになるとか、何も悪いことをしているわけではないので、何もしなくても良いかと思うと、ところがぎっちょん、世の中そんなに甘くはないのだ。
 そんなの知らないよぉ〜!とか、うそぶいて暮らしたら楽かも知れないんだけれど、そうなるとこの世の中から忘れ去られてしまっていたりすることになるんだろうなぁ。
 だから山頭火なんかに憧れたり、映画「Into the Wild」を見たりするんだろうか。そんなこといったって、したってどうせ何もそうすることはないんだろうに。