ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

OB会

 今年はサークルのOB会ができてから15周年になるんだそうだ。総勢で40人弱が集まって、3時間にわたる大騒ぎ大会。学校卒業以来あっていないという組み合わせがあっちにもこっちにもいて、賑やかな会だった。上は64歳から若手は小学生の子供までいて、盛り上がった。

自民党のスタンス

 独立行政法人が持つ不要な財産を国庫に納付するよう義務づける独法通則法改正案が、21日の参院本会議で可決、成立した。独法の財産を適正規模に抑えると同時に国の財政基盤の強化を図るのが目的だ。今年度は現金6448億円、不動産など987億円分が国に返還される見通し。
(中略)
 一方、衆院での審議では、政府案が不十分だとする自民、公明、みんなの3党が対案を提出。不要資産の国庫への納付義務に加えて、各府省に分かれている独法評価機関の一元化や、理事長の公募制導入などを求めていた。 (Asahi.com 2010年5月21日23時45分)

 それでは何故自民党、およびその別働隊たるみんなの党(陳腐な名前だ、国民を馬鹿にしているのか?!)、政権につければどんなスタンスでも取る可能性を持っている公明党は自分たちが与党であった時にこれをやらなかったのか。そして何故この法案の決議の際に反対というスタンスに立ったのか。賛成してから付則を提起するのでも良かったのではないのか。それはどうせ官僚との間に持ちつ持たれつの関係を作っていたからであって、この連中に霞ヶ関に限りなく繋がる独法を監視することはできないのだ。
 まるで国民から集めた金を自分たちだけのものにすることに躍起となっているかの如き政治システムを作り出してきた奴らに負けてたまるか。

ペンテコステ

 明日は聖霊降臨祭だ。石川遼の英語もこんな具合だったら面白かったのに。聴いているだけで英語が喋れるようになれるとはとても思えない。聴き取ることが出来るようにはなるだろう。それは自分でも体験しているからなんの文句もない。しかし、シャドーウィングなしに喋れるようになるか?

使徒行伝
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、 2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。 2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
2:11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
2:12 みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。
2:13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。 2:14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
2:16 そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
2:17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
2:18 その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
2:19 また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
2:21 そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
2:22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。
2:23 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。
2:24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。
2:25 ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。
2:26 それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
2:27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。
2:28 あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。
2:29 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
2:30 彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、
2:31 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。
2:32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。
2:34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、
2:35 あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。
2:36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
2:37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
2:38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
2:39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
2:40 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
2:41 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 出典:こちら

小沢不起訴

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は21日、検察審査会の「起訴相当」議決を受けて再捜査していた小沢氏について「元秘書らとの共謀を認定するだけの確証は得られなかった」として再び嫌疑不十分で不起訴処分とした。(東京新聞2010年5月22日 朝刊)

 多くの大手マスコミは小沢一郎のこの事件がただ単に「政治資金収支報告書への記載が一期ずれていた」というだけの事件であるということを報ずることなく、「政治資金収支報告書の虚偽記入」という表現をしていて、元秘書だった石川議員の逮捕容疑の中にあった「ジェネコンからの裏金疑惑」についてもそれが否定されている件についても全く触れていない。
 東京新聞の上記記事でも、一連の「政治資金収支報告書の虚偽記入」事件について、大久保秘書、石川議員の容疑は充分だけれど、小沢一郎との共犯を証明する証拠が見つからなかったのだ、という論調だ。
 つまり「不起訴」の中身は証拠がないけれど、充分に怪しいと検察が判断しているという内容になっている。
 で、例の検察審査会に訴えを起こしたといわれながらその実態が全く報道されずにいる「市民団体」は多分また二回目の訴えを起こすだろうと見られていて、そうなると自動的に起訴されるという法になっているらしい。
 未だにこの「市民団体」の中身がなんなのかを明白にしない殆どのマスコミはそんなことをしてしまうと、彼等の常套手段であるかなり暴力的な、それでいて官憲に守られたデモを掛けられてしまう恐れを感じているし、なによりも検察権力によって取材現場から排除されてしまうことを恐れている。
 それに何よりも今小沢をたたかなければ、時流に乗り遅れるし、支持率20%前後の内閣を守るのは負け犬に与するようなものだという判断が働くわけだろうか。大手マスコミといってもテレビが特にひどく、新聞は今や反民主党であって、大本営広報機関なのだということを視聴者、読者は認識しておかないとまたぞろ族議員が跋扈する社会に戻ってしまうぞ。
 この国のマスコミは官僚がやりたい放題をする社会がやっぱり一番だと思っているということになる。米国のFOXと同レベルでしかないじゃないか。マスコミ出身者諸兄の奮起を促したい、これで良いのか?誰も彼もが自民党公明党連立政権の時には問題にしなかったことを問題にしているのを見ていると、どう見ても自民党公明党擁護マスコミでしかなくて、まるで自民新報と聖教新聞のように見えてくるけれど、これで良いのだろうか。
 小沢は妙に曖昧な表現しかできないところに弱点がある。政治倫理審査会をやるんなら、なぜ堂々と「もちろん公開にして貰って構わない!」と断言しないんだ。「公開でも非公開でも・・」なんて表現じゃなくて。