ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

恥ずかしながら

 実は大変恥ずかしながら「白系ロシア人」というものが何を意味するのか全く知らずに使ってきた。北海道の野球場の名前に残っているヴィクトル・スタルヒンもそう呼ばれていたし、大鵬もその父親がそうだといわれていた。
 これがロシア革命ソ連共産党を意味する「赤」に対してそれから逃れたロシア人のことを対比して「白系」と呼んだことをついこの前ようやく知ったわけで、なんとも実に恥ずかしい。この歳になってもどんどんこの種の話が出てくるのは、いや、実になんとも、どうもなんである。

産経新聞

 26日付けで産経新聞が独自の「国民の憲法」要綱を発表したらしい。それはこちらで読むことができるけれど、直接pdfなのでご注意いただきたい。
 大賛成と仰る方もおられるかも知れないけれど、はなはだ盲目的な懐古趣味に目がクラクラする上に、ひょっとしたらこれは今を去ること80年くらい前に書かれたのではないかと後ろを思わず振り返りたくなろうというものである。取りあえず「前文」なるものをお読みなればあれよあれよと思うものなり。

4月28日

 アベシンゾーのおかげでこの日がどういう日なのかが明らかにされることになった。サンフランシスコ講和条約はすべての連合国との間の講和条約ではなかったこと。吉田茂の演説が日本語で行われたのは前夜に白洲次郎が勧めて英語原稿を止めて日本語にしたのではなくて、米国側に勧められて日本語でやることになったこと。条約に署名したあと吉田茂は一人で日米地位協定に署名したという事実。そして植民地出身者の日本国籍を行政上の通達によって剥奪したこと。こんな事はみんな学校で習ったことではなかった。
 そしてこの日を「主権回復の日」というのであるならば、沖縄をもはや彼は日本という国の領土だとは思っていないということになる。本来的に「主権」は未だに回復されていないので、本当は「主権を回復することを忘れない日」とし、それは沖縄が本土復帰した5月15日とするべきだ。

勲章

 まっとうや由美に紫綬褒章が贈られるんだそうだ。屈託なく喜びそうだ。喜ぶ様が思い浮かびそうだ。体制におもねる芸術家にはどんどんこんな具合に勲章が出るだろう。そろそろ弘兼憲史あたりも勲章を貰えそうじゃないだろうか。次にはEXILEも期待して良いんじゃないか?反社会勢力の様な雰囲気していても若者たちに人気があれば、それだけヨイショしたら票に繋がるだろうという浅はかな考えを持つのだろうけれど、それがそのまま本当になっちゃうんだからしょうがない。そうやってみんな上手い具合にくるまれていくわけだ。

真似

安倍晋三首相は27日夜、都内で行われた人気グループ「EXILE(エグザイル)」のコンサートを楽しんだ。
 開演前にメンバー14人と握手。リーダーのHIRO(43)に「お忙しい中、ありがとうございます」と感謝されると、首相は「頑張ってください。楽しみにしています」。(msn産経ニュース2013.4.27 21:04 )

 どういえば小泉純一郎もなんかこれと似た様な古をやってたよね。底の浅い演出するね。軽薄。

猪瀬発言

 米国のThe New York Timesがオリンピック誘致について猪瀬直樹がニュー・ヨークで語ったことを記事にしていて、イスラム各国についてアラーしか共通認識がなくって、いつまでも争いごとばかりだし、インフラもまだ未発達だと発言したとしている。
 なんて不用意なことをいったのか、ネット上で騒ぎになりそうだ。そもそもなんで米国にいったのかも疑問だったのだけれど、おかしい話だ。先のおっさんにしても平気の平左で人種差別発言を繰り返していたのに、都民は何度も彼を選んだ。

月島

 最近月島に引っ越した方からご招待を戴いて新居を訪問するチャンスがあって、ほとんど10数年ぶりに月島へいった。かつては有楽町線だけだった月島も大江戸線が通って随分便利になった。バブルの頃はこの先の越中島に住んでいる友達を飲んだくれて一緒にタクシーで帰ってきた通りがとても懐かしい。
 月島といったらお好み焼き、もんじゃの街ってことになって随分経った。そもそも「もんじゃ」がこんなに市民権を得た食い物になるとはとても思わなかった。駄菓子屋の奥で餓鬼どもの天下になるおやつだった。それがごく普通にみんなが揃って「じゃ、月島で呑むか!」といえる様なものになったのが、世の中油断しちゃいけねぇんだという象徴の様な気がする。
 それにしてもあっちもこっちもとんでもない建物がにょきにょき建ち上がっていて景色は大きく変わってしまっている。駅からあがってくると、反対に駅に向かって帰路を急ぐ工事現場で仕事を終えてきた人たちが何人もいて、このあたりが今でも建築ラッシュなのが分かる。すっかり古かった街並みがペロッとなくなって簡易舗装状態になっているのをみると、ここにあった生活や人々の思いがあっという間に「しゅぽん!」という音と共にほんのわずかな薄煙を上げて雲散霧消してしまった思いに駆られるけれど、それはよそからやってきたいい歳をからげた爺のノスタルジーでしかないのだろうか。
 先日の京橋界隈もそうだけれど、まるでモノポリー・ゲームでポンとホテルの駒をおいて、さぁどうだといわれている様な気がする。