ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

7,500歩

 歯医者に欠けた歯を埋めてもらいに行った。実は下の前歯二本がかけてしまった。前に欠けたのを埋めてもらったのだけれど、それが取れてしまったらしい。歯医者さんが埋めてくださったので、嬉しくなってそのままひょいひょい出てきて、舌の先で確かめると、一本は埋まっているのに、もう一本が埋まっていない。なんちゅう中途半端な。きっと先生は気がつかなかったのだね。

DAYS JAPAN 2014年10月号

DAYS JAPAN 2014年10月号

 初めて「フォトジャーナリズム月刊誌」を標榜する「DAYS JAPAN」を買った。前から気にはなっていたのだけれど、今月号のこの表紙を見たら、買わないわけに行かなかった。そうかといってこの雑誌はどこの書店でも扱っているものではない。もちろんAmazonが扱っているのだから世界中どこででも入手できると云えば出来るのだろけれど、本屋では限られている。東京ではどこだろうと検索したら一番近いのは多分有楽町駅前の交通会館に入っている三省堂だろうかというのでまた地下鉄で出かけた。
 朝日新聞が吉田証言の誤りを認めて謝罪した。ついでに福島第一原発の吉田調書の引用を謝って大黒星となったものだから、ここぞとばかりに右翼月刊各誌は大きな活字で、「朝日たたき」に大喜びだ。

 三省堂でも、丸善でも、単行本でもこの類いのタイトルがどんどん増える。
 インドネシアでもフィリッピンでも日本の将校兵隊がやりたい放題だったということが埋もれている。被害を受けた人たちは思い出したくもない。思い出しただけでまたその被害がよみがえってきてしまう。だから、口にするどころか、記憶の断片すら永遠に埋めてしまいたい。それでもたまさかフラッシュ・バックするであろうことは容易に想像することが出来る。加害者もそれを口にすることはないだろう。多分あいつだってそうだった、こいつもやっていた、しかし、戦争中だったのだ、戦争というのはそういうものだ、俺たちだけではないのだ、と思いながらもその記憶を埋めてしまおうとしてきたに違いない。「DAYS JAPAN」にも引用されている被害者の言葉をどうして無視できるというのか。これもまた、証言のねつ造だということにして通り過ぎることが出来るのか。加害者も被害者も戦争が終わってから70年になろうとするこの時点でどんどんこの世を去る。それをいいことに何もなかったことにするのか。
 交通会館の三省堂の入り口の横に蕗書房がある。岩波系の本はここで買う。

 これもそんなことはなかったという本が出版される世の中になってしまったけれど、関東大震災の時に、朝鮮人が暴動を起こすとして6,000人が殺されたという事件があった。この時に殺されたのは朝鮮人の他にも400人の中国人、数百人の日本人も殺されたという話がある。この本は中国人被害者について書かれた1981年に出版されたものの文庫化である。
 有楽町から山手線で日暮里経由常磐線で北千住に出る。220円。なんで北千住?昼飯を鶴亀飯店で食べたいからだ。最近毎日ここに通って飯を食っているFB友達がやたらと旨そうなものをアップするので、どうしても行こうと決断した。
 ランチも三段階あって、そのうち次々にやっつけることにして、880円の「日替わり定食セット」を発注。なかなか来ない。どうやら昼のラッシュ時を通り過ごした瞬間だったらしくて待っている人が結構いたから、谷間に入っちゃったらしい。これを幸いと買ってきた本を読む。隣の兄ちゃんはようやく食べ終わったと思ったらいつまでもいつまでもスマフォを抱えて座っている。この時間だから文句を言われないだろうけれど、いまやファミレスだけじゃなくて、こんな店でもこういう行為が当然という社会になっているみたいだ。確かに場所を変えてお茶を飲みながらっていったらまた金かかっちゃうものなぁ。
 それにしても北千住という街は平日の昼間だというのに、なんと人通りが激しいのだろうかと目を見張る。それも爺婆だけじゃない。もちろん腰が曲がって大丈夫なんだろうかと思うような婆さんが杖をついていたりするけれど、若い正に脂ののりきった働き盛りの男女も行き交っている。どういうことなんだろう。うちの近所なんて平日の昼間なんてほとんど人が通らないというのに。

見て見ない振り

 世の中は見てみない振りをしていないと「変わり者」といわれてつきあう人もいなくなる。昔の職場で空出張を繰り返して裏接待費を造り、そうでもしないと営業は成り立たないと豪語していた部長がいたけれど、そのから主張の手続きをやらされていた女性社員がそれを苦に思って人事にそれを告白したら、その女子社員が「変わり者」扱いをされていたことがある。見てみない振りをしないといけなかったらしい。
 慰安婦の問題もみんな見てみない振りをしていた。1930年代から、軍がやることは何でも見てみない振りをしていなくては「変わり者」どころか怖いことが身に降りかかる時代だった。なにげない戦後の出版物の中にもそんな話はいくらでも出てくるし、映画の中でも語られていた。今の時代になったらみんな口が堅くなっているけれど、戦後の安堵感の中で、巷では平気で語られていた。戦後生まれのこの私だって、そういう風潮の中で育ったのだから「ピーや」という言葉を聞いたことはある。
 なにしろ大正年間でもあの大飢饉の頃、農家から何人もの人が田舎から借金の形に苦界に身を沈めるということが普通にあった。そういうことがなくてはこんな言葉も残らない。だから、日本の国内からも女性が戦地に送り込まれた。みんなそんなことは知っていた。そうでなかったらどうして敗戦すぐにRAAを組織しようという発想が生まれたりするというのだろうか。
 なかったことにしてしまうというのはあまりにも潔くない。
 この引用先を読んでみても良いんじゃないかと思ったものだから、敢えてここに書いておく。http://d.hatena.ne.jp/dj19/touch/20121213/p1

まじめ

 日本人は本当にまじめで親切。
 4travelの質問サイトで「仏語ダメ、英語少し、初めてのパリ、女一人旅、ムーランルージュの傍にあるサルサクラブに行きたい!帰りはタクシーでOK?日曜日なんだけれど」と聴いている人がいた。日曜日の夜とくれば深夜にたくさんの人がいるとは思えない。そんな時間のクラブに土地勘もない人が良く遊びに行くなぁと感心するんだけれど、知らないこととはいいながら、どう考えたって、安全なわけがない。いや、そりゃラッキーで、なんもないかもしれない。そんなやつは好きにすればいいと冷たい爺は思うのだけれど、ちゃぁ〜んとそれに対していかに危ないことか、無謀なことだと何人もの人が詳しく忠告する。偉いなぁ、優しいなぁ、日本人は!

2014年09月21日のツイート