ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 驚きましたねぇ。講談社学術文庫に漫画ですよ!多分ほかに例はないでしょう。もとはといえば「シリーズ『現代思想冒険者たち』(全31巻)の月報に連載された好評4コマに、大幅に増補して刊行」されたというやつが2002年に講談社からでた。その時に「ワッハッハ」といって買った。今回あれを学術文庫化したものだ。学術文庫がこれをものにしたこと自体が嬉しくて、小躍りしながら買いに行った。中身を笑えようと笑えまいと良いのだ。こういう切り口にしたこと自体が面白いのだ。近年にないヒットだといっても良い。しかし、学術文庫は随分幅広いラインナップだと思われているだろうけれど、平気で廃刊しちまうところが嬉しくない。
流言・投書の太平洋戦争 (講談社学術文庫)

流言・投書の太平洋戦争 (講談社学術文庫)

 というのは、この本を持っているはずなんだけれど、見つからなくて、書店にもおいていないのだよ。今読みたい。 でもって、この増補新版なんぞ出してやがって、知らん顔しているわけにもいかず、とうとう手を出す羽目に陥ってしまった。そのうちに再増補新新版なんぞを出しかねない。売れ筋というものを見つけたら、とことん搾り取ろうとする。いしいひさいちが岡山の出身だとは知っていたけれど、宇野の人間だとは知らなかった。いや、忘れていたんだろう。うちの死んだとっつぁんは宇野線沿線の出身だ。
 巻頭のでっちあげインタビューがおもろい。
Coyote No.59 星野道夫の遥かなる旅

Coyote No.59 星野道夫の遥かなる旅

 コヨーテは星野道夫だった。そうでなくてはならなかった。星野がコヨーテに帰ってきたといって良いだろうか。

模擬爆弾

[模擬原爆] 愛知県春日井市の市民団体「春日井の戦争を記録する会」によると、1945年7月20日〜8月14日、米軍が原爆投下に向けたデータ収集のため、富山市名古屋市など30都市に計49発落とし、全国で400人以上が犠牲になった。長崎型原爆と同形状・同重量(約4.5トン)で火薬が詰められた。(河北新報2015年08月06日木曜日)
 1945年7月20日午前8時30分過ぎ、福島市の上空にアメリカ軍の戦略爆撃機B29が現れ、渡利の水田に1発の爆弾を投下した。これが「パンプキン」と呼ばれた長崎型の原爆と同じ形と重量(約5トン)で作られた「模擬原爆」。この爆弾で、国民学校の高等科を卒業したばかりの14歳の少年が、不幸にも犠牲となりました。(福島うぇぶこちら
 福島市にあった旧ノートルダム修道院を私が見学したのは2010年6月のことで、この時は当時のままにこの修道院が保存されていたのだけれど、翌年の東日本大震災で被災して、危険家屋に指定され、やむなくなくなったと聞いている。
 ここには戦争中インド洋で拿捕された様々な国籍の船の乗員乗客約140名が収容されていた。収容されていた人々の中で亡くなったのは病死したオーストラリア人看護婦エリザベス・グリソンと、もうひとり。
 それがオランダ人女性キャロライン・エレーナなのだけれど、甚だ残念なことに彼女は1945年8月28日に米軍が投下した救援物資に直撃されてなくなったのだと「福島にあった秘められた抑留所」の著者、紺野滋(福島民友新聞論説委員)から伺った。著書は見つけられず、当時福島県立図書館で飛ばし読みしただけなのが残念だ。
 私はこの話を直接お伺いしていながら、なぜかパンプキンでやられたんだと今まで思い込んでいた。

そして

 大橋巨泉が7月12日に逝ってしまっていた。享年82歳。時間の問題だとわかっていたから覚悟はしていた。それにしても晩年二人して出演した「徹子の部屋」再放送の冒頭を見て、まったくがっくりしてしまった。あの状態の二人を見たくなくて、現実を逃避した。この世の終わりは着々と進行中。
 いやいや、「上から目線」がうざったいオヤジだった。永六輔前田武彦とともに私はラジオ関東の「昨日の続き」が最初の認識だった。もうその度に書いているけれど、当時私は高校生で、彼らは30代そこそこ。自信満々だったはずで、そんな会話を面白いと思って毎晩聞いていた私も相当に生意気だったことだろう。一緒に出ていた草笛光子の妹、富田恵子は79際でまだ元気なようだ。
 彼らの世界にどっぷり浸かっていたのはやっぱり「話の特集」があったからというのもある。何度も何度も書いているけれど、あの雑誌は私にとって大きな意味を持っていたことになる。灘本唯人黒田征太郎横尾忠則宇野亜喜良も、和田誠も、みんなこの雑誌で知った。そういえば宇野亜喜良も82歳だ。今でも「話の特集」は捨てられない。こうやって後ろを見続けていて、人生の行く先をもはや見ちゃいないな。

2016年07月19日のツイート