ほぼ足りてまだ欲 その先

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模擬爆弾

[模擬原爆] 愛知県春日井市の市民団体「春日井の戦争を記録する会」によると、1945年7月20日〜8月14日、米軍が原爆投下に向けたデータ収集のため、富山市名古屋市など30都市に計49発落とし、全国で400人以上が犠牲になった。長崎型原爆と同形状・同重量(約4.5トン)で火薬が詰められた。(河北新報2015年08月06日木曜日)
 1945年7月20日午前8時30分過ぎ、福島市の上空にアメリカ軍の戦略爆撃機B29が現れ、渡利の水田に1発の爆弾を投下した。これが「パンプキン」と呼ばれた長崎型の原爆と同じ形と重量(約5トン)で作られた「模擬原爆」。この爆弾で、国民学校の高等科を卒業したばかりの14歳の少年が、不幸にも犠牲となりました。(福島うぇぶこちら
 福島市にあった旧ノートルダム修道院を私が見学したのは2010年6月のことで、この時は当時のままにこの修道院が保存されていたのだけれど、翌年の東日本大震災で被災して、危険家屋に指定され、やむなくなくなったと聞いている。
 ここには戦争中インド洋で拿捕された様々な国籍の船の乗員乗客約140名が収容されていた。収容されていた人々の中で亡くなったのは病死したオーストラリア人看護婦エリザベス・グリソンと、もうひとり。
 それがオランダ人女性キャロライン・エレーナなのだけれど、甚だ残念なことに彼女は1945年8月28日に米軍が投下した救援物資に直撃されてなくなったのだと「福島にあった秘められた抑留所」の著者、紺野滋(福島民友新聞論説委員)から伺った。著書は見つけられず、当時福島県立図書館で飛ばし読みしただけなのが残念だ。
 私はこの話を直接お伺いしていながら、なぜかパンプキンでやられたんだと今まで思い込んでいた。