ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

蟄居

 日がな一日家から出ず。かつてインストールしていたFile maker Proというアプリで大量にファイルしてあった資料を、そろそろ読み返そうかととりだしてみて驚いた。あれから二台新替えしたパソコンの中に、そのアプリケーションが見当たらない。確かにClarisからダウンロードだったかも知れないが、買った記憶があり、その記憶があるからこそ、そのファイルができていたのに、全く見当たらない。いつなくなったんだろう。これがOSバージョンアップの怖いところで、今のOSになってから多くのアプリケーションが使えなくなって、新たに買い足さなければならない。マイクロソフトのOfficeで作ったファイルは大量にあるが、悔しくて、他のアプリケーションで開けようとするが、やっぱり使いにくくて、とうとう買ってしまった。Acrobatもいつの間にか『買え!』といっている。
 File Maker Proは買い換えると4万円はする。冗談じゃない。思案投げ首だ。無料お試し版というのが45日間仕えるという。これを落としてきて、ファイルを開け、一枚一枚のデーターを取り出して、appleに同梱されているnumberにデーターで移し替えるという、実に美しい人海戦術に訴えることにした。モニターを見続け、細かい字を見つめることになって、往生している。

 遠藤雅子という著者の名前はちょっとオーストラリア関連本を囓った人だったら聴いたことがある名前だと思う。この本に、福島の修道院に抑留されていた「ナンキン」号乗客の話が載っていたとは知らなかった。
【追記】このタイトルにある『赤いポピー』は昨日の、英国首相、ボリス・ジョンソンが胸につけていたあの赤い花のことだ。11月11日がRememberance Dayで第一次世界大戦の停戦協定に署名された日で、その頃激戦地だったフランダース地方には赤いポピーがびっしりと咲いていたんだそうです。英国ってところはこういう募金がとても盛んで、そういう風習がそのまま豪州にも持ち込まれていて、例えば小児癌の子どもたちを支える募金とか、その類いの募金を主に高校生が駅近くに立って呼びかけます。日本では既に赤い羽根募金すら、10月1日以外に見ることが少なくなりましたねぇ。
 この本は第二次大戦中、福島の修道院に抑留されていた『ナンキン』号乗客、乗員について、著者が解明する展開が書かれている。私が福島の修道院を見学したのは2010年6月のことで、あれからもう10年が経つ。東日本大地震で、あの記念するべき修道院はダメージを受け、修復不可能として、取り壊されてしまった。

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【追追記】
「赤いポピーは忘れない」を読み終えたのがRemembrance Dayの11月11日だったというのはなんだか、面白い。もっと早くこの本を入手しておけば良かったと、後悔した。著者の遠藤雅子は戦後日本から豪州へ初めて豪州兵のお嫁さんとして渡った女性についての著書を著していた。「チェリー・パーカーの熱い冬 」という 1989年刊行の本で、私はこの本を大学の図書館で見つけてコピーを持っていたのではなかったかと思う。
 福島での「ナンキン」号を中心にして捕虜となって抑留されていた敵国抑留者たちは、福島に連れてこられてから約二年、どこにもその情報がもたらされることなく、多くの場合、死亡宣告までされていたらしい。「ナンキン」号は結局、ドイツ軍に接収されて運行されていたが、1942年11月に横浜港で起きた、ドイツ船4隻の大爆発事故で破壊された。この大事故(ノルウェー兵士による爆破工作ともいわれていた)でドイツ軍将兵750人は行く先を失い、少しずつあとからやってくる船で帰国するが、それでも残された約130名が終戦から二年後まで収容されていたのが、なんと箱根・芦の湯の松坂屋本店だったというのには、目を瞠った。子どもの頃父親に連れられて、何度も訪れた硫黄温泉の宿であった。父親の古い写真を見ると、戦後すぐの頃からこの宿を使っていた様子がうかがえる。1942年11月といえば父親はすでに横浜の船舶修繕ドックで働いていたはずで、この事故のことも知っていたはずだ。2010年に訪れた福島の修道院と、箱根の温泉宿が繋がるとは思いもしなかった。