ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あの補助金かな?

f:id:nsw2072:20201108161859j:plain

文字で商店街再発見 キックオフデー
奥の細道「矢立初めの地」である荒川区南千住地区6商店街と、川柳発祥の地である台東区の浅草国際通り商店街連合会でイベントを開催。キックオフのこの日は浅草ビューホテル2Fにてバンド、マリンバ、落語のステージイベントや子ども向けパズル体験会などが行われる。11/8~12/20の期間は商店街クイズラリーも開催。毎年恒例の俳句・川柳も募集する。

 今日の余興に金原亭馬生さんがお出ましだと聞いて、ビューホテルの二階のテラスに上がってみると、高座がこしらえてあった。馬生さんの前に、前座の時には駒六といった金原亭馬太郎があがって「雑俳」をやった。なるほど、今日の趣向には丁度良い。「一の字 一の字 一本歯の下駄のあと」である。

 川柳についてはウィッキペディアには「江戸中期の俳諧の前句附点者だった柄井川柳(からいせんりゅう)が選んだ句の中から、呉陵軒可有が選出した『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる、後に柳樽と称される。1765年-)が刊行されて人気を博し、これ以降「川柳」という名前が定着した」と書いてございます。柄井川柳が最初の万句合を興行した場所の推定跡地だという東京都台東区蔵前4丁目37(三筋二丁目交差点の南東角)に「川柳発祥の地」の碑が建っているんだけれど、川柳その人の出は竜泉なんだと馬生さんが解説をする。
 馬生さんの枕で、感心しちゃったのが、「挙げ句の果て」も「二の句が継げない」もみんなこの世界から出た言葉だという。連歌連句の五・七・五の17音からなる第1句を発句(ほっく)といい、その次が「二の句」で、馬生さんに依れば、発句が良いもの出ないと、「二の句が出なくなっちゃう」ンでそういい、「最後の七・七の句」を「挙げ句」というんで、ここから出た言葉だというんです。毎度のことながら、馬生さんの枕は勉強になるんでございますよ。
 で、始まった落語が、こりゃ珍しい「和歌三神」という噺です。私は初めて聴きました。雪の日に権助を引き連れてご隠居が向島へ雪見と洒落ます。すると、川辺で三人のおこもさん(つまり今でいうホームレス)が酒を喰らっています。酒が切れたようだと、権助に瓢の酒をお分けしろといいます。三人がそれぞれ名前を名乗って歌を詠みます。

  • もとは康といったが今は秀と呼ばれていて、土手を通る馬の糞の片付けを仕事にしているから、「糞屋の康秀」で、「吹くからに秋の草夜はさむしろの 肘を枕に我はやすひで」(百人一首文屋康秀『吹くからに秋の草木(くさき)のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ』)
  • 隣の男は垣根の下で丸くなって寝てばかりいるので、「垣根の本の人丸」と言うあだ名で、「ほのぼのと明かし兼ねたる冬の夜は ちぢみちぢみて人丸く寝る」(柿本人麻呂: あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む)
  • お稲荷さんのところにいるから『稲荷平』と呼ばれている 千早ふる神や仏に見放され かかる姿に我はなり平(在原業平:千早(ちはや)ぶる神代(かみよ)もきかず龍田川(たつたがは) からくれなゐに水くくるとは)

 誠に今日の趣旨にぴったりな噺。このあと「干物箱」をやってくれたんだけれど、この中にはおとっつぁんの代わりにせがれがでた句の会の抜きを読む。巻頭の句が「親の恩夜降る雪も音もなし」、かんじ句が「大原女や年新玉の裾流し」
 ここにもちゃんと句が出てくる。こういうところはさすがでございます。
 これで終わりかと思ったら、なんと馬生さんと馬太郎で、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵・五段目、斧定九郎と与市兵衛のやりとりを面白おかしく演じてみせる『茶番劇』。若い馬太郎に爺さんをやらせ、73歳の馬生さんが定九郎。茶番劇というのは、その昔、街の素人衆が余興にやった芝居をいい、みんなが寝ちまわないように、濃いめのお茶を配ったところから来ているんだと、ここでも馬生さんの解説付き。なんせ馬生一門は芝居が好きで、毎年2月には国立演芸場で『鹿芝居」をやる。最後のおまけに馬太郎と馬生さんでかっぽれを踊ってみせる。これもまた一門のいつもの趣向。