ほぼ足りてまだ欲 その先

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忘年落語

f:id:nsw2072:20191227004112j:plain:w360:left 毎年のことながら、今日は上野鈴本演芸場金原亭馬生一門の会だった。毎年切符を入手するのは11月頃になってしまうので、かなり後ろの席なんだけれど、今年は思いついたのが9月で、馬久に頼んでとって貰ったものだから、なんと前から5列目だった。それだのに、彼に祝儀をはずむのを忘れてしまったのは大失敗だった。
 たったひとりいる前座はどうもまだ見習いが外れていないらしい。彼は話し慣れている風がうかがえるし、度胸がありそうだけれど、なにかこう、裏に隠れた事情を抱えているかの如き雰囲気がある。
 馬太郎が何といったら良いのかわからないんだけれど、なんともいえないフラがあって、面白くなってきた。普通に噺がうまいとか、下手だとかいうんじゃなくて、なんとなく、不思議なフラがある。この一門ではないけれど、女性噺家の一花くんが面白いフラを持っているというのと、方向性は異なるけれど、同じような感じがする。これは「格好良い」とか「様子が良い」とかいうのとは全然意味が違うので、感じられない人には感じられないだろうことはいうまでもない。例えば、大看板を引きずり出して恐縮だけれど、林家正雀さんの良さがわからない落語ファンというのがもちろんいて、それがわからない人にはこの辺のことは当然の如く理解できないはずだ。小駒は今や余裕の喋りで、彼なんぞは普通に「ウマいね」といってもらえるように、あっという間になるだろう。問題はそこからだと私は、彼が前座の時からいっている。
 馬久が変わった噺をした。「おすわどん」という。生まれて初めて聴いた。お店の旦那が外に「おすわ」という名前の女を作る。本妻がそれを知って家に入れれば良いじゃないかという。で、それが意外とウマい関係になって姉妹のように暮らす。しかし、本妻が病気になって早死にしてしまう。その後、本妻となったおすわが夜中に目を覚まし、手水を使っていると、バタバタバタッという音がしたかと思うと、「お〜す〜わ〜どぉぉ〜ん」という声が聞こえると、ぞ〜ッとする!という噺。馬久はどんどん余裕が増してきた。道を行くスピードはそんなに速くはないんだけれど、着実に前進していることを感じている。
 三木助の「湯屋番」はまるで小朝の「湯屋番」だ。三木助はどこを目指しているんだろうか。
 馬治の「代書屋」は権太楼さんのそれとはまた違って、面白い味が漂う。馬治は本当に良くなった。真打ちになってからどんどん風格が出てきた。
 馬玉は「高砂や」だったのだけれど、彼は意外と不器用なのかも知れない。
馬生は丁寧な「包丁」だったのだけれど、夏も彼は「包丁」だったのかも知れない。
 帰りはいつものように居酒屋「てんぐ」に一直線。イラストレーターが友人だという歯医者を連れてきたので、9名で男組と女組に別れて簡単な忘年会。男組は徹頭徹尾病気の噺に終始する。