午後から、初めて江戸東京博物館に行った。なんだかおどろおどろしい建物は知っていたけれど、なんだかおどろしすぎて、権威的で行きたくなくて、それで敢えて行ったことがない。今は大々的に「浮世絵展」なるものをやっているので、外国人も出入りする。それにしても、どこから入ったら良いのかがわからなかった。大江戸線から地上に上がったら、幅の広い階段がある。今時こんな階段を上がらないとは入れないのかと、変な建物だなぁと思った。しかも、ほとんど誰も上がってこない。階段を上がりきったら、なんと広大なスペースが吹きッさらしになっている。ガラァ〜ンとしてほとんど人がいない。切符売り場としてあるブースへ行って、目的の小ホールはどこにあるんですかと聞いた。なんとそのブースの中に要らしたのは中国人の方だった。驚いた。日本はもうとっくに移民の国になっているじゃないかと。これなら難民ももっと普通に認定しろよと。
正解は、一階に入るのはそんな階段の脇に陰になっている横道をずんずんと進む、というものだった。初めて来た人にはこれはわからないよ。
なんで初めて来たのかといえば、若手噺家が「鹿芝居」をやるというのである。それも「菅原伝授手習鑑~車引」だという。松王丸、梅王丸、桜丸の三つ子である。果敢なる挑戦である。
金原亭馬久(馬生門下)、林家はな平(現正蔵門下 学習院大落研)、林家扇兵衛(木久扇門下)、柳家寿伴(三壽門下)、柳家緑君(花綠門下)、宝井梅湯(琴梅門下)という面々。予算がないのは当然で、彼らがかぶるカツラは黒のガムテープばりだし、出てきた梅王丸と桜丸は、なんと三度笠をかぶって登場する。それでも、狂言回しが梅湯だからその辺はうまい。お囃子の方がちゃんと太棹をお持ちになって、義太夫語りまでやっちゃう。はな平の台詞は明らかに十二代目団十郎だ、と笑う。
二つ目も5-6年を過ぎるとみんなそれぞれの個性が出てくるから面白い。扇兵衛は木久扇の門下と聞いたら、あぁ、なるほどね、と納得するし、はな平の「あくび指南」も口調が良くて、とても福岡出身とは思えない。寿伴は、師匠の三寿を全く知らないが、「やるじゃねぇか」と思わせる片鱗が漂う。三寿って誰?
小ホールはなんでも今年の8月に改装が終わったばかりだそうで、車椅子スペースが入ってすぐのところにあって、舞台が一番底にあるという構造の135席。前から3列目に席を取ったら、目と鼻の先で落語も芝居も演じられる。多分7割ほどの入りか。もちろん平日の昼間だからお客は爺婆中心で、みんなそれぞれのごひいき筋のようだ。
私も一度で良いから、歌舞伎の台詞をやってみたい。太夫の物まねでも良い。
夜は根津にある友人のお店で仲間内の忘年会。それぞれが唄う。