ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 東京国立博物館というのが上野のお山にあります。そこで毎年この時期に「東博寄席」というのが開かれます。十一代目・金原亭馬生一門が出演します。最初は一門ではありませんけれど、良く2月の国立演芸場の鹿芝居で金原亭世之介と一緒に獅子舞をやる、古今亭菊春がやっぱり獅子舞を舞います。それにしても、これに使っている音源がもうすっかり古びてしまっていて、まるでカセットが伸びているように音が震えます。作り替えないとダメだなぁ、これはもう。
 前座は小駒。あっという間に旨くなった。さすがに血だろうか。まだ時々間が、ちょいと白くなるけれど、お爺さん(先代の金原亭馬生)を彷彿とさせる。「ざる屋」めくりをめくって座布団とマイクを持ってきてセッティングしたら、やおら自分が高座に上がり、オイオイ、扇子を持ってきたのかい、と思っていたら懐から無事にとりだした。
 二つ目は馬久。「出来心」なんだか元気がない。羽織も脱がなかった。なんだか心配だ。
 馬治(総領弟子)は「棒鱈」なんだか馬治は真打ちになってから、また腕を上げたんじゃないかという気がする。俄然のりにのってきた。
 菊春が「時そば」。菊ちゃんの噺を随分久しぶりに聞いたような気がする。どうせなら園菊の弟子らしく、もっとはちゃめちゃにやって貰って良いんじゃないかという気がするんだなぁ。
 馬玉は「幇間腹(たいこばら)」ずいぶんあっさりと片付けたなぁ、という感じの高座だったなぁ。彼の噺はもともと花があってファンは多いんだけれど、どうも「ハイ、これでございます」というお手本を聞いているみたいな気がするんだよねぇ。ほら、習字のお手本って、綺麗だけれど、味がないでしょ?どうもそんな気がしていて、もどかしい。彼のことだから、実力はしっかりあってどんな具合にもできちゃうんだから、もう一皮むけて欲しいという気がするなぁ。
 師匠の馬生さんは思わず「良いね!」といいたくなるような「芝浜」だった。私はこういう芝浜が好きですな。談志以来のあの妙に芝居かかっている「芝浜」が流行ってやがって、甚だ気にくわないんですよ。
 仲入りで隣に座っていたひとりで来ていたお爺さんが、話しかけてきて、へぇ、この人は物怖じしないなぁと思っていたら、なんと馬生さんの高校時代の同級生で、馬生さんはバスケットボール部にいたというのは聴いていたけれど、高校時代のこの同級生は落研にいたんだそうです。物事は聴いてみると面白い。「じゃ、あなたが今はバスケットを?」とうかがえば受けたかも知れませんね。
 かっぽれを駒六がひとりで踊り、菊春と馬玉がふたりで踊り、最後にみんなでてきて総踊り。おわりはいつもの謎かけ。馬玉ひとりが司会だからといって一つも答えず。「初場所」というお題に菊春が手を上げて、「天文学者と説きます」といい、答えようとしているうちに、馬生師が「まさか、星が気になる、なんかいおうってんじゃないだろうね!とやってしまって大笑い。
 帰りは天気予報の通りに冷たい小雨となったけれど、今日は全然歩いていないからというので歩いて帰ってきた。
7,423歩