ほぼ足りてまだ欲 その先

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新年あける

 私は年賀状は歳が開けてから、戴いた年賀状にお返事、という感じで作らせていただいております。ま、そもそも年賀状ってのはそういうものだ、という考え方もあるのですが、歳が開けるまで何があるかわからないから、というのもあるんですよね。二年前まで葉書にいろいろ近況を書き連ねておったのですが、どうもそんなこともわからないし、というので年明けに書くと決めてからそういうタイプの中身をやめてしまいました。そうかといってこれから先そうだということに決めたわけではないのです。いつ、これが蘇るかも知れません。つうか、なにしろそういうことを書くことは嫌いじゃないですからね。
 今年は何かを書こうとすると、やっぱり自分が古稀という年齢に達してしまったんだという論調が中心になります。というのは70歳にならんとしてからというもの、なんだか身体的に急に歳をとったような気がするのです。「アタタタタ・・」というのが日常茶飯事ですし、階段が段々怖くなって参りました。あと10年は生きたいと思いながら。

大晦日

 いちいちいうようなことではないのですが、昨夜はまったく一度も、NHK総合テレビを見ずに終わりました。ここ数年ほとんど見ていません。見る気もしません。もう、そういう歳になったのかも知れません。わざとらしくて、いやなんです。嘘だからね。
 でもって一方では圧倒的なSMAPが解散だといってわぁわぁになっていますね。こっちもまったく興味が無いので、なんとも感じないわけですが、それって要するに社会参加していないって事になるんでしょうかねぇ。おかげでこの年末、ゴルフに興じて稲田の靖國については「ノー・コメントだ」で済ますことが出来た安倍晋三なんかは上手いことやったんだろうな、と思うくらいでございます。
 銀座松屋前の社会鍋なんですが、例年だとクリスマス前にあそこに出ていて、しかもおじさん、おばさんが制服を着ていたんですが、今年は大晦日に通りかかったらやっていて、しかも、ラッパを吹いている人たちも全員若い人たちなんですよ。救世軍に何かが起きたんでしょうかねぇ。

2016年12月31日のツイート