ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

週刊少年マガジン

 確か前にもここに書いたことがある。
 週刊少年マガジンは1959年3月17日に創刊号が発売になった。わたしは当時まだ11歳で、清水市立三保小学校の5年生が終わり、清水市立岡小学校へ転校することになっていた。なんでかというと、学年途中で岡小学校のそばに引っ越すことになっていたからだけれど、「教育ママ」だったおふくろが進学校の中学に入れる為に準備をさせようとしたかららしい。
 しかしながら、そんな時に、週刊少年マガジンは創刊されたのだ。子供用の自転車の後ろに付録が何冊も挟まった(多分)朝潮が表紙になったマガジンをくくりつけて学校の前の文具屋から買って帰った。ウキウキして帰ったのを覚えている。そういえば三保には書店なんてなかったんだろうな。書店といったら清水銀座の戸田書店だったんだな。
(写真はウィッキペディアから)

公文書

 何度も書いている件だけれど、この国の公文書管理ってのはもう実に貧弱で、公的機関それ自体がどのような範囲のものまでを公文書と呼ぶか、という自覚がほとんどないとしか思えない。戦争中の各種文書については敗戦直前に多くの公的機関によって焼却廃棄されてしまったので、ほとんど残っていなかった。しかし、連合軍によって行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で日本の戦犯を弁護する側も含めて証拠集めが行われた結果、首都からの通達が徹底しなかった、地方の自治体等に残されていた資料等が集められていたことから、米国の首都であるワシントン特別区にある公文書館で今でも十分な資料が残されている。当時の資料を必要とする研究者の多くは米国公文書館で様々な資料を発見してきた。日本の歴史を研究するのに、米国、つまり占領していた国家に行かないと資料が見つからないというていたらくに陥っている。これらの資料のうち、これまでにわかったものの多くはそのコピーを国会図書館で見ることができる。どうも、忸怩たる思いがしてしまう。
 本来的に歴史を研究すると往々にして、思いもよらぬ資料が重要な役割を果たすことが多いけれど、それが残っていたからこそであって、今の日本の官庁の、実態からすると多くは分散してしまったり、廃棄されてしまったりしているんだろうことは想像に難くない。自分で自分の歴史を消滅させているのである。それがどういうことを引き起こすのかといえば、どんな嘘八百だって通用してしまうということになりかねない。
 これが文明国家のかたちとしては驚くほどのお粗末さであることを示している。こんなことを学校で習わなかったのかと思うと、東大生と芸能人のクイズ大会を続けるテレビ界もその役割に一役買っていそうな気がしないでもない。

迷惑防止条例

警視庁が今年、東京都の第一回定例議会に提出した迷惑防止条例の改正案が、物議を醸している。改正案は、つきまといとして取り締まれる対象になる行為に「住居等の付近をみだりにうろつくこと」「名誉を害する事項を告げること」などを追加し、罰則規定も重くする方針だ。
同様の内容はストーカー規制法にも盛り込まれている。しかし、ストーカー規制法は規制対象を「恋愛感情の充足を目的とした行為」に限定している。復縁を迫る、交際を迫るなど、客観的に観測できる行為に限られるのに対し、都の迷惑防止条例
「正当な理由なく、専ら、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的」
の行為とある。正当性は現場警察官の判断に委ねられるほか、「悪意の感情を充足する目的」があるかどうかも内心の感情で違法・適法かを分けることになるため、解釈は難しい。このまま改正されれば恣意的な運用が行われる可能性があるとして、一部では「東京都版の共謀罪だ」という声も出ている。(キャリコネニュース2018年03月16日 18:01)

 なんで次から次にファシズムへまっしぐらに国民を連れ込もうとするんだろうか。必ず自分は規制する側に位置することができると思っているんだろうし、先手を打って、抵抗勢力をなし崩しにしようと云うことだろうか。このままにしていると、本当にえらいことになっていく。将来、子孫から「なんであの時に反対してくれなかったのか」といわれかねない。わたしも子どもの頃、なぜ親の代は反対しなかったのか、と真剣にそう思った。そうできなくなってしまっていたのだ。私たちもそうなってはならないと心の底から思う。

2018年03月18日のツイート