ほぼ足りてまだ欲 その先

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公文書

 何度も書いている件だけれど、この国の公文書管理ってのはもう実に貧弱で、公的機関それ自体がどのような範囲のものまでを公文書と呼ぶか、という自覚がほとんどないとしか思えない。戦争中の各種文書については敗戦直前に多くの公的機関によって焼却廃棄されてしまったので、ほとんど残っていなかった。しかし、連合軍によって行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で日本の戦犯を弁護する側も含めて証拠集めが行われた結果、首都からの通達が徹底しなかった、地方の自治体等に残されていた資料等が集められていたことから、米国の首都であるワシントン特別区にある公文書館で今でも十分な資料が残されている。当時の資料を必要とする研究者の多くは米国公文書館で様々な資料を発見してきた。日本の歴史を研究するのに、米国、つまり占領していた国家に行かないと資料が見つからないというていたらくに陥っている。これらの資料のうち、これまでにわかったものの多くはそのコピーを国会図書館で見ることができる。どうも、忸怩たる思いがしてしまう。
 本来的に歴史を研究すると往々にして、思いもよらぬ資料が重要な役割を果たすことが多いけれど、それが残っていたからこそであって、今の日本の官庁の、実態からすると多くは分散してしまったり、廃棄されてしまったりしているんだろうことは想像に難くない。自分で自分の歴史を消滅させているのである。それがどういうことを引き起こすのかといえば、どんな嘘八百だって通用してしまうということになりかねない。
 これが文明国家のかたちとしては驚くほどのお粗末さであることを示している。こんなことを学校で習わなかったのかと思うと、東大生と芸能人のクイズ大会を続けるテレビ界もその役割に一役買っていそうな気がしないでもない。