ほぼ足りてまだ欲 その先

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NTVのドキュメント

 日曜日の夜中、NNNドキュメントはいつもチャンスさえあれば見る。これだけの番組をこんな時間にオン・エアーするのは実にもったいない。
 今日は「金の卵」であった。最後の就職列車が上野に着いたのは昭和50年だという。1975年。オイルショックで大きく日本の産業が揺さぶられた頃である。こうして首都圏にやってきた「金の卵たち」は200万人にのぼるという。日本の高度成長を、本当に、正に支えた人たちであった。
 その「金の卵たち」を送り出した先生たちも、それが良かったことか、彼らの人生になにか苦しいことを押しつけてしまったのかと悩んだという。みんな辛い思いをした。はっきりいってしまえば、彼らから安く労働力を取りあげて、それで立ち上がった日本経済だったのだ。私は全くそこに飛び乗った人生を送ってきた。
 「がんばろう」で彼らを使ってきたのが日本の成長する経済だった。それを手を換え品を換えその気にしてきた。
 彼らがそのまま故郷に残っていたなら、第一次産業しかなかった。しかも第二子以降は居場所がなかった。そこで意味を持ったのであるし、役に立ったという。鎌田慧が云うように、彼らはなぜ「金」の卵だったかというと、「金」を生むからだったのだ。きちんとしたデーターもなしに云うが、高校卒の当時の初任給に比べて、ほとんど1/10といっても良い位だということをいう人もいる。
 昭和60年頃、新宿の裏町のスナックで行くと必ず井沢八郎の「ああ、上野駅」を唄う人がいた。とても思い入れたっぷりだった。その気持ちが近頃ようやくわかってきたような気がする。