ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

深刻さのずれ

 先の大戦(いつまでこうした表現で通用するのか確信がないけれど)で、日本は多くの捕虜を抱えた。しかし、「捕虜」という存在を全く否定的に捉えていたし(闘い尽くして命まで故国に捧げずに、軟弱にも敵に白旗を掲げて命乞いをした卑怯者)、そんな奴らはこき使うのが当たり前であり、彼等は必ずや嘘をついてサボろうとするものであるとケツをひっぱたいた。その挙げ句に大量な犠牲者を生んだのは事実である。 
 この「虐待」という行為に関して私たちはその発生についても、その後の影響についても真剣に取り合って来なかった。
 例えば、戦時中、特に後半、泰緬鉄道建設工事に見るような後年映画にまでなって残されたものについては私たち日本人も知っている。けれど、各産業の生産現場で多くの捕虜、あるいは結果的にいやいやながら就業してしまうことになった植民地からの労働力が相当数働いていたことは、かつてはみんなが認識していたけれど、口を閉ざしていたことで、今の世代には認識として引き継がれてはいないように見える。
 基幹産業としての鉱山、製鉄業、造船業、航空機産業、自動車産業といった直接軍需に繋がる生産現場には服役囚とともに、多くの捕虜が就業していた。
 しかし、戦後、これら元捕虜の人たちが、当時の恨みを晴らそうというわけでもなく、自分の人生に最も大きな影を落としたあの生活地域をもう一度この目で見て見たいといって尋ねてきた人たちに対しても、殆どが「そんな記録は残っていない」として門前払いをしてきた経過をひと頃良く耳にした。
 こうした扱い、姿勢というものが、彼等に対して真摯な取り組みもせず、口を拭えばすべてをなかったことにすることができるととぼけてきたことによってごまかしがきくのか、といったら、多分そうではなかったのだろう。
 自虐史観という表現で自らの反省に背を向けて、「いつまで謝り続ければ済むというのか」という前日本経済新聞シドニー特派員のような捨てセリフを吐いたところで、こうした積み重ねが信頼感の構築を阻害してきたことは間違いがない。
 こうして考えると、非人間的な行動を肯定する態度はやはりいつまで経っても人間的な成熟を実現することができないのだと考えるべきなのかも知れない。

 それにしても、捕虜に対して無茶なことをしても問題にならないという思想が、今日の外国人の研修生・実習生に対する扱いのむちゃくちゃ加減に生き写しに見えてしまうのはなぜだろうか。
 金を稼ぎたくて来ている人に仕事を与えているんだから、もうけても良いんだろう、という論理は法令を遵守して、初めていえる話だし、こうなることがわかっていてこのシステムを作り、維持し、混乱を無視して儲けを弾き出している状況を改善しようとしないで来た政権は、新政権に対してなにかを云う立場にはいない。