いくらネット右翼やレイシスト集団がそんなことはなかった、嘘をつくなといっても日本軍はそうした業者に任せた格好にして半島から来た女性や、日本人の女性を春をひさぐ仕事に従事させていたことは否定のしようがない。これは当時の日本では当たり前で江戸時代、いやいや、ずっと前からそういう商売はあったんだという主張は間違っちゃいないけれど、多くの女性達が仕方なく苦界に身を沈めただけではなくて、無理矢理引っ張ってこられてそうされていたことは目をふさいでいようが、耳をふさいでいようがあった。仕方なくそういう商売に足を踏み入れた人たちだって、その生活を想像したら考え込まないわけがない。
問題は植民地として弾圧していた地域から半ば強制的に従事させたことにあって、それを頭から否定して、そんなことはなかった、ねつ造だと否定することは無茶というものだ。徴兵してしまってたりなくなった労働力を女子どもを動員し、それでも足りなくて、第一次産業の現場に半強制的に植民地の労働力を宛て、捕虜を充当してきたことも事実だけれど、戦後の大企業は知らぬ存ぜぬを貫き通した。それを認めて謝罪した旧三菱金属(現三菱マテリアル)の件はマスコミには大きく取り上げられず、知る人しか知らない。他の企業は一貫して知らん顔をしてきた。政府と同じように、資料はすべて戦争で焼けてしまったからわからないと主張してきた。だったら戦前の資料だって焼けちゃっていておかしくない。つまり、その辺だけない、ということにしている。
旧日本軍は「捕虜」という存在を誠にぞんざいに扱ってきた。自軍の将兵には「恥と思え!」といった以上「元捕虜」には世間は冷たかった。「捕虜」となった敵兵はどんな待遇を与えようとかまわないというやり方だった。内地へ送り込んで強制労働をさせた。これは生き残った連中がなにしろ最後に勝った連合国の国民だったから、なかったことには出来なかった。それでも、個人が「私はこの工場で働かされ、理不尽な扱いを受けた」といってきても、当時の資料も、証人もいないからわからない」とはねつけてきた。
捕虜収容所の現場で監視の職務に就いたのは半島から連れてこられた軍属や、米国生まれといったメンバーだった。その結果彼らは戦後「戦犯」とされた。帰米二世だった米国生まれの若者は戦後アメリカで国家反逆罪となった。
こうしたすべてのことに、頬ッかむりをして70年以上を過ごしてきたのが私たちだったのだということは忘れてはならないと思う。
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