外務省が元日本軍の捕虜だった人たちを日本に招聘して謝意を表す事業を始めてから今年で5年目になるのだそうだ。自分がどうしてこの事業を知ったのか、もう覚えていないのだけれど、POW研究会というグループが主催する「市民交流会」なるものにほぼ毎回参加してきた。
今日は米国から来られた7人の元日本軍捕虜の方々で、99歳から91歳と高齢なれど来られるくらいだからお元気である。午前中に外務省を訪問したと訊くがどんなポジションにいる人が逢って謝意を示したのか、興味深い。そこを聞き逃した。本来的には首相が丁寧に謝意を示すべきだと思う。
彼ら一人一人からの言葉を聴く時間よりも、やってきた参議院議員や主催者の話を聞く時間の方が長いのには隔靴掻痒たる思いが残る。
日本軍は軍隊の中でも平気で暴力を振るっていたから、暴力に対して違和感を持たなかったのかもしれない。今の米軍の訓練を見ていても、そう感じるのだけれど、軍隊というのは本来的に暴力に対して麻痺をしていかなくてはやっていくことが出来ない仕組みになっているといっても良いかもしれない。そうでなくては至近距離で敵を撃ち殺し、死体累々たる中で平気で日常生活を送ることが出来ない。つまり、そうした行為こそが至上のものとされる異常事態の中にいる。
戦後に生まれたこの私ですら、食糧の足りない状態で暮らしていた日本人から見たら、捕虜、つまり戦いに負けて、降参した奴らがどんなにひもじい思いをしても、どんなに辛い状況になってもそれは負けちゃったんだから甘んじて受けなくてはならない結果なんだということに対して疑問を持たなかったものだ。だって、負けちゃったのだから。しかし、そうして考えると、戦争後半から戦後の私たちの耐乏生活は当然のことであって、その後の米国を中心にした連合国から受けた様々な決定も全く当然なことだということになる。なんたって負けちゃったのだから。
だからといって、どんなことをされても良いのかといったらそれはそうではないだろう。どうも近頃の風潮は、どんなことがあってもそれは戦争中のことだから今頃それをあげつらうなという雰囲気がある。それは間違っている。それを受け入れていたら、それはそのまま当時のむちゃくちゃな論理をそのまま受け入れるということになってしまう。
彼らのほとんどはフィリッピンで捕虜になり、そのままアジア各地の収容所を振り回され、最後は労働力の足りていない日本に連れてこられて強制労働に従事している。中にはその労働に際して賃金が払われていたところもあるらしい。中には軍票で支払われて、戦後ただの紙くずになったという人もいる。この軍票についてはきっと誰かが書いているだろうから、探してみたい。いったい戦争中にはどれほどの額の軍票が出回っていたのだろう。例の慰安婦の人たちの中にも軍票を抱えて敗戦となった人は少なくないだろう。
日本軍将兵の中にも捕虜となって戦後日本へ帰国を果たした人たちもいるが非常に判明しにくい。連合軍の捕虜の人たちも帰国後、また辛い境遇に立った人たちも数多い。
それにしても時期が遅すぎた。もっと早くこうした行動を起こすべきだった。今の自公政権がこれを肯定的に捕らえるとは思えないが。