ほぼ足りてまだ欲 その先

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憲法契約説

 こんな言葉は聴いたこともないけれど、テッサ・モーリス・スズキと姜尚中の対談集「デモクラシーの冒険」を読んでいて思った次第。
 姜がこういう。「本来、憲法の機能は、いかにして権力を抑制するか、あるいは、国民の権利をいかにして守るのか、という点にあるわけで、民族の魂とか伝統とか、そういうものとは一切関係がないんです」
 そこからこう考える。「言い換えるとこの国をどのような約束の元に運営していくか、という根本的な諒解事項を、その運営下に暮らす国民につまびらかにする、その契約書である。」だから、その各契約項目についての解釈が、担当者ごとに変化していったのでは、これは「契約違反であるとして指摘されるべき筋合いのものである。したがって、契約違反が明らかになったときには、その行為について改めなくてはならないことになる。また、その履行について疑義が生じたときにはその契約のもう一方の当事者である国民に対してこれを提示して諒解を取らなくてはならない。これを無視して項目解釈を自由自在に変更する輩が今は存在しているのである。ここに問題がひとつある。契約の履行、解釈について紛糾したときにこれを仲裁する機関が存在しないのだ。私の国(だけではないかもしれないが)では、一方の当事者が勝手に変える解釈に他の一方の当事者は何も発言せず、唯々諾々と従うのみである。