ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

古田敦也選手:「なんでブログ?」

 彼もブログを書いているので自分のアンテナに入れて時々見に行っている。で、その中である人にブログの話をしたら「日記なんてものを他人に公開する人の気が知れない」といわれたという話がある。私もブログを初めて2-3ヶ月した時にある人にその話をして「そんなもの公開して何が面白いの」といわれて返事に窮した。
 そうか、自分に露出趣味があると云うことなのかもしれないということを感じた。出たがり屋なんだなぁとも。そうして考えると昔から確かに出たがりだった。人前で何かすることにおびえながらも、何度もそういう立場に立ってしまっていた。自分自身は全く論理的ではなく、どちらかというと論理の組み立ての下手な、その場限りの、拙速であればまだしも拙で遅い、そんな程度の能力しか持ち合わせていないんだけれど、それでもまだ自分をどこかで出したいんだろう。
 もう一つは頭の中にゆらゆら漂わせているといつまで経ってもそれに相対峙しないという傾向にあることも事実。でもそれだったら別に自分のノートだけに書いておけばいいわけ。それをどうしてこうやって表に出すのか・・・。そう聞かれても答えられないんだよなぁ・・・・。有り体に申し上げれば分かっているんだろうに。
 ウンウン、自分のそれこそ「足跡」をどこかに残したいと思っているんだろう、未練がましくも。死んじゃったら何も残らなくても良いわけだし、残したとしても、それを残された側にとってはとても迷惑かも知れない。どうしてこう考えるのかというと、残された側にとって惜別の感情があるとすれば何かそうしたものが残っているというのは嬉しいことかも知れないけれど、そんなもの一切なくて、あぁすっきりしたと思われていたら(そんな状況でないと良いな、そうだと良いなと心ではうろたえつつ希望しちゃうんだけれど)、何を残そうとあっさり捨てられちゃうよなぁ・・って。
 で、ここでたどり着く結論は、捨てられても良いからあがいて何かを残す、ということなんだけれどね。捨てるの面倒だから残さないでね、といわれることがあるんだけれど、それはそれなりに一理はあるとは思うんだけれど、私がそっちの立場に立ったとしたら私は残しておいて欲しいな、と思う。何も残されなかったとしたらもっと寂しくなってしまうだろうし。