ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本人捕虜

 イラクで地元ゲリラとの戦闘で傷つき捕虜となっている日本人はフランスに居住地を構えていて英国の会社の従業員だという。オーストラリア人でやはり捕虜となっている人は米国に拠点を持っていて米国の会社の従業員である。従事している職種については根本的に異なるけれども、実はイラクという国の中で従事している外国人という意味ではあまり大きな差はない。
 この日本人は昨年までフランス軍の外国人部隊に20年以上も所属していたという。テレビジョンのニュースではその外国人部隊についての報道がたくさん流れた。現役の外国人部隊兵士へのインタビューでポーランドハンガリー出身の兵士が多いという発言があった。これを聞いて想い出したのはかつて短期間ではあるが出張していたイスラム圏の国での工事現場だった。
 未熟練工と総称されるいわゆる人力提供することを仕事とする部分は東南アジアからの出稼ぎ者であるが、その親方であるとか、テクニシャンといわれる技術工、あるいはそうした職種を履歴として持つマネジャー級には多くの場合はポーランドハンガリー、あるいはトルコからの出稼ぎ者が大半を占めていた。この間には多くの共通点がある。多くの場合は母国が東西冷戦の狭間に落ち込み、しかも母国経済は低迷を続ける国を出て出稼ぎに従事する国民の多い国々である。こうした労働条件は辛い。家族から離れて過酷な環境の中で辛い作業に従事する場合がほとんどである。だからこそ多くの就労希望者がいるわけでなく、従って支払われるその対価は良い。こうした熟練工以上の立場に立つ労働者にアジア人が従事しているところを見ることは少なかった。タイ人、ビルマ人が未熟練工と熟練工のちょうど間にいたくらいであった。フィリッピン人、韓国人、台湾人は船舶の乗組員に多く見た。日本人で時々見るのは日本のメーカーの巡回メンテナンスにやってくる技術者であった。*1彼らはどこにでも行き、どんな相手とも仕事をしてきている一種独特の感性を共通項として持っていたことを想い出す。そんな匂いをこの元外国人部隊の曹長からかぎ取ることができる。彼は現場を知り尽くしたいわゆるボーシン級の立場をつとめる現場の人間であろう。
 彼の弟さんがほぼ毎日記者会見に出席している。しかも、そのためにあつらえられた会見会場で行われている。ご本人のご希望でそうしたところで記者会見が行われているのだろうか。冒頭に「皆様に大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という挨拶をされることがお気の毒のような気がする。「兄をどうか助けてくださいっ!」と語気鋭く訴えていたら、きっと「あのパターン」に陥ってしまうんだろうと思わせる。これから先、こうした状況に立った家族は全員、この言葉から入らないと世間から叩かれるだろうという学習をした、ということではないか。なんだか、1940年代前半の雰囲気にますます近づいてきたのだろうか。

*1:当時の日本人労働者はほとんどが企業の社員であり、通常の業務の一環として長期工事出張として日当を支払われるという条件で現地に行く。これは当時の雇用形態の中では非常に例外的であり、そうしたプロジェクトを次から次に現地で受注していく企業は日本の中では一般的ではなかった。何度かのプロジェクトを経験すると企業の中でプロモートされたり、中には外での仕事に慣れてしまっていわれるがままに職場を転々とさせられる企業雇員の立場がイヤになって外に出て行く人がいる。こうした人たちを正しく遇することができなかったのが日本企業の雇用システムと企業文化の限界であった。