ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

なぜブログを書くのか

 朝日新聞の「論座」までブログについて特集を組んでいる。はてなの近藤氏や2チャンネルの西村氏、インフォバーンの小林氏が学習院大の遠藤薫先生と座談会をしている。しかし、洋の東西を問わずなんでブログなんてものを書き始めるのか、という点は解明されていないようだ。これは多分解明されるなんてことはないだろう。こうして毎日書いている私にしても、どうして書いているのか全く理屈付けなんてできない。たまたま持っていたパーソナル・コンピューターがネットにつながり、自分が好きに書ける場所が見つかったということである。そんなものは自分のコンピューター上だけで閉鎖状態にしてやればよいのに、ではなんでわざわざ公開して書くのだろうか。そういうのは自分でもイヤだという気分を持つのだから多分あたっているのだろうが、多分に露悪的であることは確かだ。昔から頼まれなくても自分を表に出すことに何の躊躇もなかった。しかし、正確にいうとまったく何の抵抗もないのかというと決してそんなことはない。あぁ、やらなければ良かったと思ったことは数知れず。ところがあぁ、やっぱりやっておけば良かったと思うこともこれまた数知れずなのである。
 昨年の夏に私の連れあいの学校時代の友人の旦那さんで、ほぼ同年齢の成功した実業家に初めてお会いした。大成功をして都心の一等地にエレベーター付きの一戸建てを構えるという大金持ちである。それまではなにしろ話もしたことがないのだから、多分価値観の大きく異なるであろう相手にどうして良いのかわからない。当たり障りのない話をしていても面白くないので、「今年になってブログを書き始めましてね」と話しかけた。すると相手の反応は「そんなことをして何が面白いの?!」というものだった。答えようがない。彼にしてみると日々忙しくて、自分の時間が取れたら突き詰めてものなんて考えていたくもない、とでもいうようなものだったのだろう。
 それにしてもずいぶん直截な人だと思った。私だったら「そうですかぁ、面白いですか?」と聞くだろう。つまり、私は現場では真っ正面からぶつかっていくことをしない。その分こうした場で自分が考える価値観に取り組んでいるのかも知れない。しかし、彼は現場で常に他人に対して真っ向勝負を挑んでいるのかも知れない。その分勝ち負けもはっきりしているのかも知れない。私は現場で勝ち負けをつけることに恐怖を感じる性格なんだと思う。まぁ、はっきりいってしまえば臆病だということかも知れない。しかし、ある程度公開された場所で自分を見つめ、(根拠がはっきりしないまでも)考察してみることは頭の中で茫洋と考えているよりも数段明解さが高まる可能性があるように思う。
 不思議なことに漠然と思っていることを一文字一文字書き連ねることによって、その根拠を探りはじめ、その論理を推察し、依って来たるところを整理しようとする。だから、私はこうして文字にしようとするのかも知れない。自分は何でこのテーマに関心を持つのか。そのテーマに関連して自分が興味を感じるのは何なのか、だとしたらどうやればこれを調べることができるのか、そのためにはどんなツールが必要なのか、ということを一つ一つ解明していくためにも、それを文字にして書いていくことが有効だ。そんなことは自分の閉鎖された範囲のなかでやれ、というのがこれまでの斬り方だったんだろう。それがそうではなくなってきたのが、ブログの世界の決定的な違いではなかろうか。