ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

つまごい

 NHKのhiで吉田拓郎かぐや姫のつまごいを生中継している。16時から18時までは大相撲で生中継を中断。ステージの転換の間にはアルフィーの坂崎が出てきて説明をしていた。田家とかいう人が出てきて二人で1975年の時にはもっと客席も殺気立っていたという話をした。それはただ単に観客が歳を取って丸くなったとか(拓郎はそう発言していた)ってことではなくて、もっといろいろな要素が絡み合うと思うんだけれども、その辺の話を掘り下げても良い、と思った瞬間に女性のキャスターがそれをくみ取れずに次の話に動かしていく。
 先日、ある先生が吉本隆明の言葉を使って説明をしようとしたら、吉本本人の説明からしなくてはならず、彼の発言の真意を細かく検討するところに至らなかったということを仰っていたが、それと同じような齟齬がここにもある。それは詮方ないことである。私たちの頃から比べれば出回る情報は驚くほどの量に達しているわけだし、当時のコンサートは今ほどたくさんなかったんじゃないだろうか。会場も限られていたわけだし、何よりもこんなにライブハウスや練習スタジオが存在しなかった。そんな環境の違いはとても大きい。なんだか今日の画面を見ていると、みんなが慣れてきていたんじゃないかという気はする。
 それにしても1975年のあのコンサートを語る時に必ず「団塊の世代が」という言葉がついて出るけれども、当時私たちは既にほとんどが社会に出ていて、もうあぁした会場になんの憂いもなく行かれる状況ではなかった。なによりもかによりも仕事が第一だったのだ。それが普通だったのだ。どこかに属していなくては無性に不安になる時代だったのだ。それでいながら小田実ミッキー安川たちの風来坊的気丈夫さのようなものに憧れ、社会の軛(くびき)から解き放たれた価値観に暮らしてみたいとは思いながらも、今つかんでいる仕事を離したら、もう後は裏道を行くしかないんだろうなぁという思いと、それはそれでむしろ格好良いじゃないか、潔いではないかという思いとの間を梁がフラフラ揺れていた頃だったような気がする。
 それにしても秋の雲のわく空の元、良い天気で気持ちが良さそうなり。
 最後の「神田川」でなんとクジラ・武川が出てきてバイオリンを弾く。彼はこのためにあそこまでいったのか?偉いっ!