ほぼ足りてまだ欲 その先

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永六輔

 永六輔の番組で永六輔が転倒学会で話したことをいっていたのだけれど、永さんの後で話をした九州大学病院のリハビリの高杉先生が、西条八十の「カナリヤ」を唄ったんだそうだ。

歌を忘れたカナリヤは 後ろの山にすてましょうか いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋めましょうか いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか いえいえそれは可哀想

歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に金の櫂
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を想い出す

大変に怖い歌詞で、こんな「埋める」だの「ぶつ」だのって言葉を詩に使ったりしていることに随分違和感があるんだなぁ。私の元に西条八十がこの詩を「どうでしょうか」と持ってきたら、「こんな乱暴な詩はダメだなぁ〜」と一蹴したに相違ない。それでもこの唄は私たちの世代には知らない人がいないくらいに知られている。だから僕らも詩に相当に乱暴な言葉を使うことを考えても良いんじゃないか、と安心できる。いやいや、一番重要なのはこの最後のオチで、リハビリに限らず大事であり、随分考えさせる言葉である。