ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「おい!返せ!」

 昨日の朝日新聞夕刊に「首長への賠償請求権、議会が放棄 住民訴訟を骨抜きに」という記事が掲載されていた。実はこの見出しを一覧した時にいったい何を意味しているのかよく分からなかった。なんで住民が収賄やらなんやらぶっ飛ばしモンの地方自治体首長に損害賠償しろと請求しているというのに、その議会がそんな権利を放棄できるのかが分からなかった。
 で、いつものようにググって見たら、埼玉の久喜市、山梨の合併して中央市を構築している旧玉穂町、新潟でやっぱり合併してしまっている旧案塚町、千葉の鋸南町でそんな事態が発生しているのだという。
 旧玉穂町について調べてみると中央市となったのは2006年2月。Asahi.com山梨版によればこんなことのようである。

 旧玉穂町の森川百規元町長は1999年夏、甲府地裁から懲役2年、執行猶予4年、追徴金100万円の判決を受けた。翌年2月、住民が「町長が業者に予定価格を漏らしたことで、町は約2億8千万円の損害を受けた」として森川元町長を相手取って返還請求訴訟を起こした。2005年2月、甲府地裁は、森川元町長に約1億4千万円の支払いを命じる判決を言い渡したが、元町長が控訴。ところが今年2月、合併直前、旧玉穂町議会は「すでに社会的制裁を受けている」として、損害賠償請求権の放棄を多数決で議決した。7月、東京高裁はこの議決を優先する判断を示し、住民の請求を棄却したが、住民側は上告し、最高裁に持ち込まれた。(首長の汚職 「わいろゼロ市」宣言を 2006年09月04日)

 この記事はこの後「森川元町長が議員に働きかけたかも知れない……と推測するのは、深読みしすぎか。」と続くんだけれども、そんなのは「しすぎ」どころの話ではなくて、そのものであることはなんら疑問の余地がない。住民はこの議会そのものを本来的にはリコールするべきなんだろうけれども、すでにこの玉穂町は中央市に合併してしまっていてまさにイタチの最後っ屁とでもいう状況。
ところが、この記事はそもそもこの中央市を構築する旧田富町、旧豊富村を含めて旧首長がそれぞれ収賄で有罪になったり、逮捕されたりしていることに注目している記事なのである。だからこそ、この記事のタイトルが「わいろゼロ市宣言を」となっているである。
 そこで最初の疑問に戻るのだけれども、どうして住民が請求の訴えを起こしたにもかかわらず議会がその賠償請求権を放棄宣言できてしまうのかという点である。議会は住民の代表であって、その民意を集約している議会が旧町長に対する請求権を(回収の目処が立たないという理由で)放棄したということが意味を持つということなんだという。どうしても理解できない。多分この中央市だけではなくて、方々でこんなことが起きている可能性は高い。これまで談合を必要悪だといっていたいわゆる社会的常識が覆りつつあるように、この種の不正義が許されない社会がやってきていることに気付かないのはそれだけ社会性が欠けているということに他ならないが、こうした倫理観や納得観(こんな言葉は存在しないけれど「大人というのはこうした世の中の潤滑剤が必要なんだと納得するものだという価値観:勝手につくった」を得々と述べるというのが一般的な風潮である。
 こうした状況をどんどんあからさまにすることがマスコミの大きな役割のひとつでもある。「美しい国へ」といっているように今は美しくないことだらけだけれども、おぼっちゃまはこうしたことをどんどん改革して美しくしていこうと音頭をとっている・・筈なんだけれどなぁ。なんで儲かっている法人にこの上減税してやるだなんて揉み手で「史上最高の利益」を見込む人たちにヨイショしているんだろうか。美しくないねぇ〜!