ほぼ足りてまだ欲 その先

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教員免許の書き換え

 学校の先生はさまざまな試練に出会っている。確かにいろいろなことが起きているから何らかの見直し、あるいは支援が必要なのはわかる。しかし、今の先生は忙しすぎやしないだろうか。生徒に直面する時間と労力をより多く取れるようにしてもらうためには、受け持ちの生徒数を制限する必要は当然あるだろう。現実にある自治体ではひとクラスの生徒数を制限して実施しているケースがある。そして事務的に手のかかる部分については先生方の手から話してあげる工夫も必要だと思う。そのためには当然歳出が増える。それは必要だろう。金をかけない、だけれども先生方には10年ごとに審査をやり直してその資格を見直すぞと云うのではあまりにも「学校教師」に対するプレッシャーだけにしかならないのではないだろうか。その論理で行くならば、医師も弁護士も検事も警察官も、特に裁判官もそうした10年ごとの審査をやらなくて良いのだろうか。それはちょっと学校の先生方を目の敵にしすぎじゃないだろうか。
 公立の学校でも学区を取り払ってどこの学校でも自分の希望で行くことが出来る、そして生徒が増える学校、つまり学力レベルが高い、あるいは部活の盛んな学校に優先的に補助を出していくという方式にはなにやら優生保護的な匂いがする。つまり、学力が高い学校は生き残っても良いけれど、学力の低い学校は生徒が減ってなくなってしまってもそれはそれで仕方がないじゃないか、という論理が感じられる。それはつまりそうした学校に行く生徒はそれでしょうがないじゃないか、といっている論理を感じる。それはある意味、社会的排除ではないのか。「勝てないのはしょうがない」が通用した時期が昔のこの国にもあった。またそこに行くのか。
 毎月学力テストと称する業者テストをやり、上位15%の氏名をその得点とともにずらっと廊下に貼り出す、なんてことをやってそこに載る生徒はやりがいがあったかも知れないが、残りの85%の人たちはそんな中学生時代をどんな思いで想い出すというのだろうか、というのは私の中学生時代のことだ。最近のテレビの報道を見ていてそんなことを想い出す。