ほぼ足りてまだ欲 その先

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三社の本社神輿が出ない

 今朝のマスコミがほとんどみんな報じているが、本社の神輿に乗るな、というお触れが出ていたにもかかわらず今年の5月の祭でやっぱりいつものようにもんもんを見せて神輿に乗った連中が現れて、とうとう浅草神社と奉賛会は来年の本社神輿渡御を行わないと発表。
 神様がおられる神輿に土足で上がって良い訳がない。そんなこともわからないで(むしろわかっているから始末に悪いのだが)上がり込む連中は非難されて当然だ。そういう意味では町神輿でまだ御魂入れ前と御魂返し後には乗っても良いのかということになってしまうが。神社の本殿に土足で上がる奴がいるだろうか。
 町会によっては本社の神輿が隣の町会から渡され、練りはじめるとある部分に来て突然町会の半纏と異なる半纏を着た集団が担ぎ棒の半分に入ったりする。そういう半纏集団は事情通には既知の出来事で、大体がある種の特殊集団のグループである。そういう集団があっちにもこっちにもあるのだけれど、驚くほどの人数が概ね黒基調の半纏を着ている。地元の人間はそうした黒半纏の後ろに染めてある印の文字で「まる○」と呼んでいる。よく見るとその半纏を着ている人たちの全部がそうした特殊集団の人間ではない。見るからにこの半纏が地元でどの様に見られているのか知らないだろうという人たちもいる。彼らはその特殊集団に金を払って一日その半纏を着て祭を楽しむのだ。もちろんその中心には特殊集団の組織がある。その参加費がその集団の収入になっているというのが公安の判断だ。確かに、そういう集団が我が物顔にしている町会の祭を見ると一種異様である。普通の人が普通に神輿を練ることができない。こわごわ周りを遠巻きにしているというのが実態ではないだろうか。
 なんでそんなことになってしまったのだろうか。それは30-40年前にも遡らなくてはならない。当時の祭では神輿の担ぎ手には本当に困っていた。どんどん住民のサラリーマン化が進んで来つつあり、商店は営業を続けなくてはならない状況となってきていた町会では、特に各町会の町神輿の全部が浅草寺の裏に集まり、神社で魂を入れて貰う土曜日の神輿を練る人手に困りはじめた。表通りの大きな会社や銀行、証券会社がある町会では、それらの企業の名前入りの半纏を作ってもらって参加して貰った。神社から遠い町会ではその往復渡御も今から考えると寂しいともいえるし、のんびりしていたともいえる状況だった。しかし、そんな大きな企業のない町会ではそうはいかない。そんな時に頼れた集団といえばそうした集団だったということもある。その当時はそれでも持ちつ持たれつで成立していた関係も、今となってはそんなコミュニティとしての繋がりを遥かに逸脱した状況となってきてしまっているというところに問題の根本がある。
 いつの間にかとんでもない関係になってしまったこうした状況はコミュニティの歴史の移り変わりとともに考え直して行かなくてはならないようだ。ある意味では戦後の高度経済成長経済下で大きく変わったコミュニティの仕組みが今になって影を落としているといっても良いだろう。