ほぼ足りてまだ欲 その先

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リビア

その1

(2007年7月24日23時0分 読売新聞)によると「北アフリカカダフィ大佐リビアで1990年代に400人以上の子どもにHIVを輸血感染させたとして今月11日に現地で死刑判決を受け、その後、終身刑減刑されたブルガリア人看護師5人とパレスチナ人医師1人をリビア政府は7月24日、両国の合意に基づき同国を訪問中のEUの代表に引き渡した。6人は同日午前、ブルガリアの首都ソフィアに到着し、パルバノフ大統領の恩赦を受け、解放。その理由についてリビア高官は同通信に対し、「欧州諸国との関係改善と、病院改修の保証が得られたため」と語った」という。
 リビアは1970年代にカダフィ大佐が提唱する「緑の革命」でイスラム原理主義的傾向を深め、1980年代中頃からは攻撃性を強め、ドイツでのディスコ爆破テロやTWA(Trans World Airline)の爆破事件を引き起こしていた。その結果西側からは経済封鎖を受けて国内事情は疲弊の極致に達していた。1980年代前半にもコマーシャルの世界では西欧との繋がりはあったものの、公的には西側との繋がりは極度に狭まり、医者といえば東欧、北朝鮮から派遣されてきた人たちばかりだった。入手できる米といえば北朝鮮から入ってくる超古米という始末。東西冷戦崩壊後、1990年代終わりに伝えられた情報によれば、国内では整備をする費用も手だてもなく航空機を飛ばすこともできなくなり、リビアに出入りするためには隣国までは飛行機で行けるものの、そこからは陸路を行くしかないという状況に陥っていた。
 カダフィ大佐はついに降参。1999年にはテロ容疑者をハーグの国際司法裁判所に引き渡すことで氷解をはじめ、次々に軟化。米国主導の強硬路線が功を奏した(といえるのかどうかは問題だけれど)といった形。
この事件については西欧側からその嫌疑、捜査方法等に関して人権擁護の点から疑問が寄せられていたという。なんとなく経済事情を含めた国内の動きと国際社会との繋がりとの齟齬が大きな影を落としているような気配を感じる。

その2

 2000年前後だったと思うが、突然テレビの海外旅行番組にリビアが登場しだしたことがある。最近はそういえば見かけていないけれど。リビアはかつてのローマ帝国のあの広大な領地の中に含まれている。東に行くとエジプトのアレキサンドリアがあって、あそこにはローマ時代の遺跡を見ることが出来るくらいで、その延長線上にあり、保存状況には問題があっても残っている。一説には今では年間700人ほどの日本人観光客が入っているという話もあるし、広大なサハラ(これだけで砂漠を意味すると聞いたことがあるけれど)砂漠を見てみたい、という究極の観光客がいても不思議はないだろう。現実に先日入手したJTBのパンフレットを見るとトリポリから入って、隣国のチュニジアに抜けるパッケージド・ツアーが出ていた。一度も行ったことのない人から見ると多分そのエキゾシズムがおいでおいでをするのかも知れないなぁ。砂漠のど真ん中で半年を過ごした経験からいうと、二度とあの環境に行ってみたいとは思えないんだけれど。確かに私が暮らしているこの国の環境からいったら何もかも「非日常」なんだから、究極の旅かも知れない。これも外貨が喉から手が出るほど欲しいこの国の姿を現しているのかも知れない。
 それにしても産油国であったはずのリビアがなんでこれほど外貨に困っているのだろうか。出るものは出ても買ってくれる国がなくては商売にならないということか。交流のあった北朝鮮は油の需要があっても外貨はなかったから商売にならないということか。こういう経済封鎖の成功例があるから、米国もサダム・フセインもこうなるのではないかと読んでいたと云うことか。年老いカダフィ大佐の威力がキューバカストロのようにいつまでも続くのだろうか。逆にいえばカダフィが死んだ時、この国には何が起きるのだろうか。もしくは、今のカダフィは本当のカダフィだろうか。