先日本屋を通りかかった時に、新刊文庫本の平積みの中に「
圓生百席」をまとめた京須偕光が1987年に
青蛙房から、そして文庫を1999年に
中央公論社から刊行した「
圓生の録音室」が
ちくま文庫から2007.10に出されたものを発見したので、通りかかりにぽいと買った。実は私は「
志ん朝の落語」(1〜6巻
ちくま文庫)くらいしか落語絡みの文庫はなかなか買わないのだけれど、この日は文庫の棚に思うようなものを見付けられなかったこともひとつの理由かも知れない。そのまま買ってきた時に貰った袋の中に転がっていたのだけれども、ふとした拍子に取り上げて目を通したらこれが実に面白い。というのはやっぱり「
圓生百席」全部を聞いたことがあって、その時にいろいろ思ったことがこれを読むと実に氷解するということがぞろぞろと並んで出てくるからである。「
真景累ヶ淵」がなんであんなに長く一気に収録されているのだろうかとか、どんな話からこの「百席」が実現したのかというあたりが面白くわかる。まだ読み始めたばかりだけれど、もうこれだけでもこの本を手にした甲斐があるというものだ。こんなことがあるから、書籍には油断ができなくて、全部目を通すことができないにもかかわらず、ついつい手にしてしまうのである。しかし、私が死んだあとは誰もそんなことには気がつかないから、ポンポン捨てられてしまうんだろうなぁ、それが人生だろうなぁとふと思う。
百席の出囃子、送り囃子はどれひとつとして同じものはなく、
圓生は幾つも自身で唄を入れたりしているのだそうだ。え、そうなのかと、試しに「蛙茶番」を鳴らしてみたら確かに出囃子・送り囃子は「蛙ぴょこぴょこ、三ぴょこぴょこ・・」ってぇやつを
圓生が唄っているのだ。