ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

久しぶりに

 母校に行った。博論の予備審査発表会だったかで、一期として4人の方が書いておられる博論の予備審査のための発表をされた。案の定朝起きられなくて、最初の発表者のものは聴き損ねたけれど、二人目の途中から、そして三人目、四人目を聴いた。みなさん膨大な調査をされていて現場に即した考察を重ねられておられる。その上政策的な課題を含めて多くのことを提言されている。いやぁ、これは2年や3年で書けるものではない。現場に於ける個別的対応が如何に補填されるべきかという問題は永遠に解決できないかも知れない。それは限りない個別性だからだ。その対応には接する人々の多大なる想像力と創造力に追うところが大であって、だからこそそうした仕事に携わる人々への経済的な基盤の提供こそは官が腐心するべきポイントなのである。ところが自己の利害に腐心しているというイメージを大いに持たれてしまっているのが現状ではないのか。だからこそ「公僕」という名称があるのだ。ん?もうこの言葉はなくなっちゃったのか?
 こっちのキャンパスの図書館に行った。カウンターで対応して下さった女性が実に丁寧な方で、機転も利いて爽やかだった。驚くほど素晴らしい設備になったここの図書館は相変わらず肝心なものが欠落していたりするのだけれど、こうした係りの方がおられるとより素晴らしく思える。それにしても地域に開放されていたはずなのに、どうして閉鎖的にしてしまったんだろう。
 借り出した本。

  • 「日本の兵隊を撃つことはできない 日系人強制収容の裏面史」デイ多佳子著 芙蓉書房出版 2000:帰米二世を中心にしたいわゆる「ノーノー」組が送り込まれたノースダコタ州ビスマルクの収容施設が舞台。
  • 「湯浅八郎と二十世紀」武田清子著 教文館 2005:日米交換船で帰国したメンバーのひとりである武田清子国際基督教大学名誉教授が書かれたICU初代学長であった湯浅八郎について書かれたもの。1999年のICU創立50周年の年に在籍していたにもかかわらず、湯浅記念館が何を意味しているのかも全く知らず、武田清子がおこなった記念講演もまったく関心がなかった自分が実に悲しい。まぁ、日々の課題に追いまくられてそれどころじゃなかったというのが本音か。