ほぼ足りてまだ欲 その先

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中学・その二

 今は都立の高校のシステムが変わってしまったからよく分からないけれど、当時の都立高校というものは学区の中にその序列ができていて、中学はまさにそこに照準を合わせたシステムの中にあった。私が行っていた中学からは毎年トップの高校に30数名程度が合格していたから平均的に見れば各クラスのトップの二人はその学校に行く。だから毎月に実施される学力テストなるものの結果で順繰りに自分が受ける都立高校が必然的に決まってしまうのであった。そして自分が受けた高校には受からなかったけれど、学区全体の入試成績順位をつけると都立高校の入学定員の順位に入る人は序列としては下だけれどもどこかの高校には入れる、ということになっていた。要するに高校に関する志望動機なんてものは存在しない。成績で高校が自ずから決まり、自分が行きたかろうと行きたくなかろうと試験で高い点を取ればただそれだけで自分が「ここなら入れるだろう」と目星をつけた高校に入れるけれど、予想以上に高い点を取ったからといってそれより順位の高い高校に入れてくれない。こんなことなら、別に志望校を決めるなんて面倒なことをしないで、センター試験のように一斉に受験して、点数順に序列校に割り当てれば良かったのか。それを実際に実施し、その上各校の格差をすっきりしゃっきり是正しようとしたのが美濃部都政が採用した「学校群」だったのか。しかし、みんな以前のシステムからすっかり足を洗うことができないものだから、以前のシステムでトップだった学校の入った学校群を選んだりなんてしていた。そのうちに経済が高まると共に、高い点を取る生徒はどんどん私立にその志望を移していってしまった。こうして都立高校は衰退したのだ。
 ところで、話を中学に戻すが、この中学では毎回トップから1割だったか1割5分の順位を廊下に張り出すのだった。もう予備校そのものだ。しかし、当時はこうしたことを実施する中学は進学に熱心といわれていた。こうして考えてみると、こんな日常と「ゆとり教育」とどちらがいいかといったらゆとり教育の方に断然軍配が上がるだろうに。
 毎月の試験が私は別に嫌いじゃなかった。この傾向は高校に入ってからも続くのだけれど、出題範囲を決められた定期試験は好きではなかったのだけれど、試験範囲が何も絞られていないいわゆる「実力テスト」とか「学力テスト」といったものは好きだった。なぜか。試験勉強のしようがないから「ケツカッチン」で追いかけ回される必要がないからである。わかるものはわかるけれど、わからないものはどうせわからないからである。で、その成績順が発表されると、その終わりの方に申し訳のように名前が載っているんだから、そっちの方もどうにか満足したりするのだ。こんなことなんだから、地道にこつこつ築きあげたりなんてするわけがない。
 中学二年の一学期の初日に学校に行くのに、どんな格好をしていけばよいのかわからない。勿論その公立中学には学生服の制服があって、学帽がある。一年の時に通っていた地方の中学の制服もやはり学生服だった。学生服というものは金ボタンがあって記章が記されているけれど、そんなものはよく見ればわかるけれど、あんまりわからない。学帽の記章は大きいから結構わかるが、後ろから見たらわからない。ところが私が通っていた地方の私立中学の学帽には、なぜか白線が一本巻かれていた。だから、どこから見ても、そこの中学だとわかってしまうのである。その初日に私はその学帽を被っていったのだった。何の疑問も持たずに。単純というか、何も考えなかったというか。そしてクラス分けの後に入った教室の自分の席で、机の中に入れた学帽を両手で探りながら、その白線を取り外していたことを覚えている。そのクラスには私の他にもうひとり、九州の有名私立女子大附属から転向してきた女生徒がいた。彼女のセーラー服は白線ではなく、臙脂の線だったので、彼女も目立った。しかし、彼女は秀才だったので、そんなことにはめげることなんてなくて毅然としているように見えた。もうすでに自分の胡散臭さ、底の浅さに嫌気が差していた自分の情けなさに気付いてしまっていた。