ほぼ足りてまだ欲 その先

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毎年この日は

 【写真左:1956-7年頃の宗谷。写真右:1998年3月シドニーでのレセプション当日の「しらせ」】南極観測支援艦「しらせ」が晴海を出航する日である。1982年に完成した「しらせ」は1983年の初めての南極への航海以来毎年この日に晴海を出航してきた。今年の航海は大きな意味を持っていて、これが南極への最終航海になる。もう既に竣工以来25年が経つ。
 私は小学校の時に南極観測が始まって宗谷が海鷹丸に伴われて南極へ行ったことをかすかに覚えている。1956年のことで私は当時の宗谷のモノクロの絵はがきを持っていた(写真)。その上、ソ連のオビ号に助けられたり、船の能力と天候状況のゆえに樺太犬を南極に置き去りにし、翌年行ってみると「タロー」と「ジロー」が生き残っていた話は今でも涙なしでは語れない。宗谷は帰ってくるごとにボロボロにダメージを受けていたそうだ。毎年何かしらを取り付けては1962年に新造艦「ふじ」に代わるまで南極に行った。その後は本来の海上保安庁の船として北の警戒に当たり、1978年に退役。そこから今に至るまで有明船の科学館に係留展示されている。今行ってみると、本当に驚く。良くもまぁ、こんな小さな船で南極まで行ったものだと。「ふじ」は21年間南極に行き、退役。名古屋でやはり係留展示されている。しかし、今の「しらせ」は保存されることなくスクラップ化されることが決まったのだという。次の船は2009年にならないと竣工しないそうだけれど、その船もまた「しらせ」という名前になるのだそうだ。私はちょっとそれはないだろうという意見だ。このあと「しらせ」といった時にそれはどっちの「しらせ」を指すのかということになって混乱の元になる。そんなことをするのなら「しらせ-II」とでもして欲しい。
 来年の春、3月末に晴海に帰港するとそれが最後になるということだ。1982年10月の雨の日に初めて乗ったことを今でも思い出すことができる。あれからもう四半世紀が経ったということだ。あの頃は本当に今とは比べようのない程の景気だった。