ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

歩く

 午前中の行事に出かけた帰りに地下鉄で二駅分を歩き、電器量販店に行く。firewireのhubがあるというのをどこかで見たので探しに行くが、USBと一緒になったものしか置いてない。通販で買う方が確かかもしれない。八重洲のブックセンターまでまた歩く。ちょっと出版から時間が経っている本を探す時はその辺で妥協してもどうせ満足できないのだからブックセンターまで行く。文庫本で捜していたものは全部確保。今年の6月に出版されたもののほとんど知られていなくて、私もつい先日知ったくらいの本を探して貰ったら返品になってしまった直後だったようだ。半年も持っていてはくれないらしい。これもまた通販で買うしかないのだろうか。「叛逆のとき 」フランク・マカダムス (著), 山本 光伸 (翻訳) 柏艪舎 2007.06。
 ところで新潮文庫の一冊を買ってみたところ栞代わりのあの紐が付いている。どうやら新潮文庫にはついているらしい。ということはずいぶん長いこと新潮文庫を買ったことがないということを意味するのだ。あの紐が新書や文庫から消えてずいぶん経つ。あれは大変に便利だけれども、多分コスト高になるのだろう。おかげで栞をいつもどこかに準備するようになった。かつてはそんなものを買うなんてことも考えなかったが、最近は高山にいっても、どこかの博物館に行ってもそんなものが気になる。古本屋で古い新書を買い求めた時に、栞の紐を見付けて、あぁ、そうだったなぁと思い出す。

  • 「同日同刻」山田風太郎 ちくま文庫 2006.08(立風書房 1979.08 - 文春文庫 1986.12)
  • 「自伝の人間学」保阪正康 新潮文庫 2007.11(「自伝の書き方」新潮選書 1988.06)
  • 天皇観の相剋 1945年前後」武田清子 岩波現代文庫 2001.11(岩波書店1978 - 同時代ライブラリー1993)
  • 「東京坊っちゃん林望 小学館文庫 2007.11(小学館 2004):どうやら彼はやんごとない一族の出身のようである。なにしろ伯父は林健太郎、父親は林雄二郎だ。それにしても良くそんなに細かく覚えているものと感心する。私は彼よりほんの少し上で、ほぼ変わらないが、そんなには覚えちゃいないなぁ。彼もしょっちゅう肩を脱臼させたと書いておる。彼の場合は母親の自転車の後ろに乗って骨接ぎに行ったと書いているが、私の場合はおふくろにおぶさっていった。あの骨接ぎはどこにあったのか今以て知らないが、おふくろの背中にいるとガタンとする度に痛かった。それでも彼が書いているように骨接ぎでカックンと入れて貰うともう何ともなかったのだった。あれで、筋肉や筋を痛めていなかったのだろうか。

 帰り道にあるエネルギー会社のショールーム横まで来ると駐車場のシャッターが上がっていてなんだか男の人ばかりなんだけれど、人が溢れている。なにごとなのかと首を突っ込むと、中には椅子がずらっと並べてあって、そこにもほぼ男の人ばかりで、皆さんし〜んとしている。一体なんだろうと思ったら風呂屋のペンキ画家が壁にしつらえた合板と覚しき板に見事な風呂屋の富士山を描いているのだった。きっとそんなイベントだったのだろう。皆さんじっとして息を殺してカメラを構えているのを見ると、ずっと付き合っているらしい。どこかのブログにその一部始終が掲載されていそうな気がする。こちらで新聞記事にまでなっていた。
あっ!菊地成孔を聴くのを忘れたぁ〜!再放送はないのかぁ〜〜っ!