ほぼ足りてまだ欲 その先

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氷見の冤罪

 今朝未明のNHK第一ラジオ「ラジオ深夜便」の1時台は人権インタビューシリーズで「幸せな明日を手にするために〜ある日突然、犯罪者にされた」と言うテーマで富山・氷見の女性暴行事件で冤罪で服役後、真犯人が逮捕され今年無罪となった「えん罪被害者・柳原浩」へのインタビューだった。
 今年の10月に再審判決公判があり、無罪となった。真犯人は昨年11月に逮捕されたが、すでに冤罪被害者は2005年に2年間の服役を終えて仮出所していた。冤罪被害者の話は本当に許されない話で、事情聴取と言いながら警察に同行を求められた時にはなんの嫌疑かも何も告げられることもなかったそうだ。弁護士を呼んで欲しいと主張した時も、警察は「知り合いの弁護士がいるのか」と聞き、いないと答えると「じゃ、そんなものは要らない」と対応したというのだから驚く。近代捜査以前の問題で、最低限の権利を行使することすら頭にないのは怖ろしい。
 初公判の場で警察での調書から一転犯行を否定して警察に戻ってきた時は、取調官は拳を握りしめ、今度否認したらぶっ飛ばすと力をこめて脅したという。それから先は「はい、か、いいえだけで答えろ」といわれ、警察がいうことに「はい」と答えるだけだったという。われわれから考えるとなんで、そこで抗議しないのか、それができなかったのが悪い、と言う感覚になる。例の鹿児島県警の志布志事件でも私から見ると、なんでやってもいないことをやったとそう簡単にいってしまうんだ、という気になる。しかし、こうした話を聞いてくるとたった一人で、なんの情報ももたらされない状況に陥ったら、絶望感に駆られることはまず間違いがないだろう。
 事件発生時、入院していた冤罪被害者の父親はその後亡くなり、冤罪被害者はそれ以上に絶望感に駆られる。驚くべきことに彼についた国選弁護人ははなから彼の有罪を疑うこともなく、最初から事件の被害者に対して賠償金を早く払ってしまえ、そうすれば罪が軽くなる、とそればかりだったそうだ。ますます彼にとってはこの世の中に誰ひとりとして見方がいないという状況に陥っていたであろうことは想像に難くない。
 仮出所して更生保護施設に収容された彼は最初に買い物に行った時にカッターナイフを購入している。その話を聞いた時に私は自分の身を守ろうとしたのかと思ったら、なんと彼はそれでリストカットしたというのである。出所して、ようやく娑婆に出られたというのにである。周りの人たちが冷たい視線で「刑務所帰りだ」とみんなで話しているかのように感じて耐えられなかったというのだ。
 「今年1月に富山県警富山地検が誤認逮捕を公表し柳原さんに謝罪した(2007.10.10 15:53産経新聞)」と伝えられているが、彼はNHKのインタビューでは「私は警察からは今に至るまで何もいわれていませんからね」と未だに許していないとその真情を吐露している。どうやら彼が逮捕されて以降も真犯人は全く同様な手口で犯行を重ねており、警察はそれに気がついていないわけがないようだ。
 産経新聞(2007.11.14 22:44)によれば13歳から18歳の少女、計14人の被害者に暴行を働いた真犯人が自供することによって彼の冤罪が判明した点などを考慮して、強姦致傷罪の最高刑の無期懲役ではなく、有期刑で最高刑の懲役30年を検察は求刑し、富山地裁高岡支部の藤田敏裁判長は懲役25年の判決を下したのだという。これは一種の司法取引なんだろうか。真犯人は自供によって刑が軽くなったにしても、彼が服役したという事実は消えない。真犯人は中日新聞(2007年11月15日 22時53分)が伝えるところでは「鳥取県警の取り調べで被害者の心情などを聞き、ほかの事件も話そうと思った。冤罪事件は富山県警が今年1月に公表後の2月中旬まで知らなかった」という。
 毎日新聞 大阪朝刊 2007年11月15日で伝えられているように「冤罪の真相は解明されておらず、今も納得できない」とする彼の心情は推し量っても余りある。
 彼は介護施設で仕事を始めたようだけれども、講演をしてきた理由を「こうした事件は誰の身にも、容易に起こる可能性があるということを知って欲しい」と伝えていた。実に怖ろしい事件である。
 ところで、富山県警の処分はどうなっているのだろうか。