ほぼ足りてまだ欲 その先

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 いつも様々なことをご教示くださる方から新しい本をご紹介頂いた。半藤一利保阪正康の対談で「昭和の名将と愚将」(文春新書 20080220)である。地元のグズグズな、本屋というより雑誌屋といった方がよい様な本屋でもさすがに新刊の新書ならあるだろうと遠出をせずに出かけてこれを入手。これは面白い。一気呵成に読んでしまいそうだ。第9章にあの瀬島龍三が出てくる。瀬島を知るある参謀が「国家の一大事と自分の点数をひき換えにする軍人です」と発言したと書いてある。旧皇族として良く発言している竹田恒泰の祖父に当たる竹田恒徳(つねよし)がここに出てくるが、彼は当時名前を変えて宮田といっていたそうだが、七三一部隊の担当参謀だったと書いてある。その竹田恒徳の交代として瀬島は1945年7月に満州に行く。ソ連が侵攻して瀬島が最初にやったのは飛行機を一機用意して竹田の家族を日本に脱出させたという。旧竹田宮邸がのちの高輪プリンスホテル、現在のグランドプリンスホテル高輪である。かつてはその中を部外者も通り抜けることのできる洒落た構内だったが、今ではまるでコンクリートの塊の様だ。保阪には1987年に文芸春秋社から出版した「瀬島龍三 参謀の昭和史」という著作がある。読んでみようと思う。最後に特攻に触れていて、半藤が「『特攻』に対する考察がしつくされぬままなら、日本人は軍隊なんかつくっちゃいかんと思いますよ」といっている。
 どうも当時の軍人の“ただ面子を保つための”行動やら言動、あるいは感情を煽っておいて責任をとらない、言い張られたからしょうがないと押しきられたという様な合理性を大きく欠くものの考え方なぞを知ると、それはまさに今の高級官僚の自らの仕事に全く責任をとらない、そのくせ「金は天下の回りもの」的発想で思いつく行政上の愚策を思わないわけにはいかない。旧軍人の世界がそのまま霞ヶ関に残ってしまっているのだということを考えると、やっぱりあの戦争にあれだけの犠牲を出しながらわれわれは結局何も学ぶことがなかったのかもしれないと思うと、この長い時間の経過の前に膝をつく思いになる。