朝07:30に集合してPageの街中に急ぐ。車だまりの様なところに後ろに背中合わせになったベンチを乗っけた4WHDが何台も駐車している。なんだかどこかの温泉場にあるロバの馬車を彷彿とさせる様な雰囲気だ。ここで33人+ガイド2人の35人が3台の4WHDに分乗する。舗装道路をがんがん走ると昨日宿舎の裏から見えた三本煙突の近くにまでやってきた。
そこから砂地に入る。ここからはNavajo Nation Landということで、この4WHDを運営しているのもNavajoの会社で、これだけで300人の従業員がいるんだとガイドについてくれた女性が語っていた。地図で見るとArizonaの北東部からNew Mexicoにかけて、Coloradoの南西辺、Utahの南東辺に広大な先住民のreservationが拡がっている。中でも最大勢力はNavajoでこの後訪ねた西部劇のロケ地で著名なMonument ValleyもNavajo Nation Parkと標記されていてちゃんと入場料を徴収し、中には立派なVisitor Centerも出来ている。今現在まさにホテルの建設も進行中だった。
Antelopeはどっと雨が降ると水路になる部分であの「グランド・サークル」の旅行パンフレットに必ず写真が掲載されている赤い曲線が魅力的な岩はそうした水流で浸食された結果生み出されたものだという。その証拠に中に入っていくと流木が引っかかったままになっている。入口の真っ赤な見事な砂の中を4WHDはえっちらおっちら進む。タイヤの空気圧を抜けばもっと楽に走れるけれど、そのまままた舗装道を走らなくてはならないのだからそうも行かず面倒だ。
朝一番だったからか、入口の砂の上にはサソリと見られる足跡すら残っているのが面白い。中にはいるとそんなに長くない区間なのだけれど、自然が造り出す造形の不思議さに目を奪われてしまうので、一体どれ程の時間、どれ程の距離を歩いたのか、全く見当がつかなくなる。さぁ、行きますよと云われてもまだまだ見ていたい雰囲気だ。バスに戻ってわれわれはMonument Valleyを目指す。89号線でコロラド・リバーを渡る時にGlen Canyon Damを見下ろす。ダムのすぐ下にはゴム・ボートが何隻ももやってあって、なるほどここからラフティングが出来るんだな、それはきっと面白いだろうなぁと思わせる。やれるものならやってみたいものだ。Google Earthで下流まで見てもどの辺まで行かれるものか見当がつかない。どうやらこちらのサイトを読むとやはり89号線がコロラド・リバーを横断しているポイント、Lee's Ferryまでの16マイルくらいが初心者にとって丁度良い程度で、そこから先は経験が必要の様だ。
私たちは98号線を走り160号線に合流して東へ進む。如何にも先住民の街と覚しきKayentaを通過したのが11:20頃である。この街はShopping mallがあってこの界隈では大きい街だ。ここから163号線を通って東に行くと右手に入口が見えてくる。尤ももうこの辺からあの西部劇そのものの景色が見え隠れしている。
Monument Valley Navajo Tribal Parkというのがこの地区の正式な名前で(こちら)米国のNational Park Serviceとは全く別の組織であるから、NPSの年間パスや生涯パスは通用しないと明記されている。Visitor Centerも結構な規模でしばらくいても飽きない。ここから今度はバンに乗って岩を巡って歩く。私が乗った車の運転手はサングラスにバンダナ巻きで、あたかも開高健の様だった。豪州のBlue Mountainsと同じようにThree Sistersという岩がある。あっちの三姉妹は魔女(だったかなぁ)によって石に変えられてしまった三人の姉妹だけれど、こっちのthree sistersはキリスト教でいうシスターのことだ。そういわれてみるとその様に見える。そこから次々に岩を巡る。まるで瞳の様に穴が開いているところは「太陽の瞳」という名前が付いている。大きく岩がくぼんでいるところに出る。掌を丸めて立てた様にできていて、近づいていくと音が大きく反響する。みんながその湾曲した岩に仰向けになって見ると、ドライバーの一人がインディアン・フルートを取りだして演奏する。まるで南米のケーナの様な素朴な音で、この場の雰囲気にぴったりだ。三曲程演奏して彼はtipを得ることができた。この笛は途中のお土産屋さんでも見かけたけれど、本格的なものはやっぱり80ドルはした。
Navajoは今でもhigh schoolではNavajoの言語を用いて教育をしているのだそうだ。Navajoの言語といえば映画(Windtalkers: Nicolas Cage)にもなっているが、アジア太平洋戦争中に暗号として使われた経緯がある。「Navajo Code」といわれ、発信側にも受信側にもNavajoを同行させていたというのだ。これに関する書籍もいくつか出版されている。全米に500部族いるといわれている先住民族のうちNavajoは全体の30%の人口を占め最大の規模。ちかくにはNavajoの住居が点々と散在しているが庭にホーガンと呼ばれる土地で小山の様にした小屋を造る。入口は必ず東を向いているそうで男性用のホーガンは丸く、女性用のホーガンは三角に作られるのだという。
昼ご飯は珍しくこのツアーでは用意されているという。Navajo Tribal Parkからややしばらく走ったところにあるGoulding'sという施設である。ここはもとはといえばHarryとMike Gouldingが始めたGeneral Storeで、彼はNavajoを支援し、Monument Valleyを「駅馬車」のジョン・フォード監督に紹介した人として知られているのだそうだ。Harry Gouldingに関しては「Tall Sheep: Harry Goulding, Monument Valley Trader」という著書がUniv of Oklahoma Pressから1992年に出版されているがどうやらすでに絶版の様だが古本も相当な値段で取引されているらしい様子を見ると捨てたものでもないかも知れない。
話を戻すとランチは「Navajo Taco」だった。もっとたくさんレタスを貰ったら美味しかったかも知れない。しかし、辛くないチリビーンズの様なものは日本人のお気に召さなかったかも知れないが、私は嫌いじゃない。レモネードを飲みながらこれを食べているとやっぱりアメリカか。
ここからはただ黙々と160号線を西へ向かい、89号に合流して南下。Cameronで右へ曲がって64号線に入ってGrand Canyonのsouth rimのGrand Canyon Villageに向かうだけ・・であった。ところがウトウトとしていたら、突然ぎゅ〜ん、きっ、どん・・・と、まだKayentaに辿りつく前でこのバスは前の白い乗用車にぶつかってしまった。あれあれ・・・。やっぱり一車線の道路をあれだけ前の車にせっついて走るんだから思わぬことが起きても不思議はない。なにしろsouth rimのMather Pointで夕陽に染まるGrand Canyonを見ようというのだけれど、これでは間に合わないかも知れないなぁという思いがよぎる。事故そのものは大したことがなかった様だけれど(途中の休憩の時にバスの前を見たけれど、どこにもそれらしき痕跡を見付けられなかった)追突された側は全く悪くないのだから、かなり揉めるだろう。
17:45にCameronに着いた。ドライバーがトイレに行くという。みんなも行きたいという。いってみるとそこはとても大きな土産物屋だった。これはゆっくり見てみたい様な大きな規模だった。惜しいなぁ。
18:20 東のゲートに到着。夕暮れに間に合うのだろうかと気を揉んだけれどこれなら充分悠々到着のようで、ゲートを入ってすぐのDesert Viewで初めての谷を覗く。縁から見下ろすとすぐの岩の上に何やら人影が見える。何をやっているのかと思うと、そのまた向こうの岩の上にも人影が。双眼鏡を取り出すと片方は三脚を構えているところを見るとカメラマンで、もう一方はモデルなのだろうか。双方共に一旦どこかまで降りて、また登ったと云うことか。気が遠くなる様な企画だ。
Market Plazaにバスを止めてみんなでMather Pointまで夕陽を見に急ぐ(古い私の「歩き方」によるとこのMatherは初代国立公園局長の名前だという。てっきりmotherのことだと思っていた)。日本人ツアーを載せたバスが何台かやってきている。阪急のTrapicsのラベルも見えるし、クラブツーリズムのワッペンも見える。尤もこっちだってJTBだ。じっくり夕陽が落ちていくに従って色を変える山というか、岩波をじっくりと楽しむ。これはいつまで見ていても飽きないし、終わらない。それではと切り上げて宿舎であるMaswik Lodgeに辿りついた時には夜はとっぷりと暮れていた。満月が登ってくる。
バスが停まったロッジは私たちが泊まるブロックの隣で、ゴロゴロところがして部屋を発見。皆さんはバスでTusayanまで食事に行くというが私たちはいつもの様に軽い食事で充分だし、もう夜も遅いからロッジのキャフェテリアにする。Sequoiaで最初の晩にテーブルをご一緒した皆さんと最後もご一緒であった。ここの施設はYellowstoneの施設を運営していたXanterraが運営しているからキャフェテリアの雰囲気もそっくりだ。ここでも野菜サラダとスープ、そしてパンを食べる。これで充分だ。
部屋に帰るとこれが暑い。なんでだろうと思って見回すと開放部分が前方にしかない。YosemiteやSequoiaは確かに後ろにも窓があって空気が通る(あそこの場合は通らなくても良いけれど)。しかし、ここのロッジは後ろは全面壁で風が全く通らないのだ。扇風機を廻しても、廻しても昼間暖められた空気が動くだけだ。どうやら同行のかたの中にはガイド氏に電話をかけて「どうにかならないか」といった御仁もいたらしいが、そりゃどうにもならんだろう。
食事が終わってからパソコンを持ってロッジまで無線LANを繋げに行く。ここは昨日のLake Powellと違ってきちんと繋がる。周りを見回すと学生年齢の男女が何人もラップトップを前に何やら書き込んでいる。ひょとしたらここで働いている若者たちだろうか。