ほぼ足りてまだ欲 その先

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日曜のテレビ

 NHKの「日曜討論」は珍しく建前をとうとうと語る政治屋の集まりではなくて、「相次ぐ通り魔事件 いま何が必要か」というテーマでノンフィクション作家・吉岡忍、日本教育大学院大学教授・河上亮一(開成ー東大、プロ教師の会)、経済同友会幹事で人材教育・派遣会社「ザ・アール」社長・奥谷禮子、ジャーナリスト・斎藤貴男精神科医斎藤環、小説家・平野啓一郎東筑高ー京大、芥川賞 33歳)というメンバーだったから大変に興味深かった。なによりもこうしたメンバーをそろえられることがNHKの力なんだろうけれど、これでたった一時間というのがもったいなかったなぁと思う。
 斎藤貴男NHKに出演したのはあんまり記憶にない。奥谷がこのメンバーを前にしても相変わらずの話なのは当然なのかも知れないが、周囲とのコミュニケートをうまくとれない世代に対する対応を頭の中に持ち得ない硬直した思考を再確認させられただけだったのは面白くなかった。斎藤貴男が言うようにここに御手洗がいたらもっともっと面白かっただろうと想像できる。
 平野が言うように勝ち組だとか負け組だとか枠にはめるいい方でせっつくのはいい加減にやめてくれというのはよくわかる。
 学校というものはとりあえず、社会的適応性を身につけるために必要な知識と協調性を身につけるところで、個性云々を語るのはそれから先のことだ、という河上の説明は理解できるのだけれど、その時点でどのような価値観を自ら捉えることができるのかというこの曖昧な、そして雲を掴むようなポイントがどう語って良いのかわからない部分なんだと思う。
 奥谷が振り回す「絶対的価値観」という言葉はすぐさま誰かが否定しなきゃならない。絶対的な価値観とは一体なんだよ。人間として最低限してはならない、犯してはならない部分ということなんだろうか。それはあるかもしれないけれど、それは非常に限定された部分であって、そこから先は相対的な価値観であるものが大部分だろう。
 他者の暮らし方を羨む、妬む、嫉妬するという部分はどこから出てくるのだろうか。「こんなことをしている奴もいるんだぞ」というあたかも“どうだぁ、俺は勝っているぞ”的な取り上げ方をして、なんの考えもなしに賛美する、というマスコミのスタンスはあまりにも興味本位で次元が低すぎる。
 撃たれ弱い思考がどうして作用してしまうのかという点についても考えを巡らす必要があるなぁと思う。もう、だめだ、という結論に至る過程があまりにも簡単なようでもあるし、先読みがあまりにも悲劇的でもあるし、想像する壁があまりにも高いような気がする。
 それなら、それはどこから出てくるのか、何が作用してきたのかと考えるとまた元に戻っていってしまうような気もする。どこかで正面を向いて考えなくてはならない。