ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

複雑に絡まっちゃってて

 資本主義経済の社会では利益追求法人が市場から利益を上げることによってその利益を出資者に還元し、出資者はそこで得た利益を出資金として再投資することによって成立する。
 これが限定されたある一定の市場で回転していると物事は単純明快にしてわかりやすいのだけれど、これが今や出資者はもちろん国境を越えて遙か彼方から出資金に対応する利益の還元を受ける。国境を越えてくるのは投資だけではなくて、労働力もより絶対的に高賃金の得られるところに国境を越えて動いていく、搾取されることは分かり切っていても。これが全くオープンに実施されると地球規模の市場となっていくのだけれど、ところがそうはいっていない。
 ほとんどの地域では出資者による出資はもう全くの話オープンになっている。誰がどこに拠点を持っていてどこの市場に対して投資をしようと千客万来で、ウェルカムだ。だから儲かってその利益を分配するときにあたかもその市場には潤沢に資金がやってきたように見えるけれど、いざとなったらそれは引き揚げられちゃってガクンと体力が疲弊するということになる。見捨てられちゃうという奴だ。それはいやだからこの投資市場の経済活動はとてもやりやすいンだと宣伝しなくちゃならない。つまり、利益追求法人が利益を上げやすくしてやらなくてはならない。法人税が安かったり、労働者を安く調達しやすいというのは魅力的に映る。
 ほとんどの地域では労働者の国境を越えての移動は野放図ではない。季節労働者は大歓迎されるけれど移り住んでくるのは大ブーイングだ。搾取されに来るのは大歓迎なんだけれど(そりゃそうだ)、仲間のひとりになるのはおおむねいやがられる。なぜなら仲間のひとりになると平等になにもかも参加できなくては民主的ではないから、手間もかかるし、それは即金がかかるということに結びつくからだ。
 つまり、地域が経済的に発展するということは、そこに存在する利益追求法人が儲かり、人を雇い、税金をわずかながら納め、金が集まり人が集まるのだけれど、手間暇がかからないということにつながるのではないのかというのが、ぼ〜っと考えていた結論だ。
 で、問題はこの「手間暇がかからない」ということだ。簡単にいってしまうと手離れがよいということか。面倒なことになったら簡単に手が切れるということだ。これは多くの人間を動かさないとものを生み出さない利益追求プロセスとしては魅力的だ。
 今朝のテレビで韓国のサムスンの問題を取り上げていたけれど、あそこのグループでは一部を除いて労働組合がないというのだ。ま、労働組合が存在していてもその活動が非常に丁重である場合でもあんまり変わりはないといって良いだろう。なにしろサムスン中央日報すら手中に収めているというのだからまぁ万全だ。
 「労働形態が多くの選択肢を持っていることがこれからの社会では重要だ」という経団連の主張は全くないとはいわないが、おまえらが云うからこそおかしいのだ。労働者側が「多種な事情を抱えている労働者をその事情にあわせて働くことのできる形態を受け入れて欲しい」というのであればうなずけるような気がするが、経団連がそういえば、これは当然「美味しいタイプの労働者をなくすな!」といっていることは明確だ。戦後米国が東西冷戦の中で自らを支援する政策をとらせるために何人ものA級戦犯を釈放したのと同じようにこうして政治は「誰かの利益」のために動く。
 「この国の経済が発展しなくてはこの国は何もかもなくす」という脅しはそのまま「君たちが辞めてくれなくてはこの企業そのものがなくなってしまう」という説得と紙一重であり、「君が国家に命を捧げてくれなくてはこの国が滅んでしまう」という脅しと瓜二つだ。
 ひょっとすると核燃料再処理施設を動かして原子力発電を推進して行かなくてはこの国のエネルギー政策は成り立たないという論理もこれか。