ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

もう、とにかくテレビ

 久しぶりに家を出てちょいと買い物があったものだから銀座に出た。ついでに家電量販店に立ち寄ったら思ったほど混んでない。薄型液晶テレビがめったやたらと並べてあって今やこれが量販店の目玉になってんだなぁと思った次第。随分凄いものを買うんだなぁと思ったけれど、考えてみればパソコン一台と大した変わりがあるわけでもない。それにしてもこんな面倒くさいシステムを歳をいったおばあさんがひとりだったらわかるわけがない。もっと気楽に相談できるような売り方ができないものだろうか。例えばアップル・ストアのジーニアス・バーみたいなものができないものか、それができればもっと売れるんじゃないかと思うんだけれどなぁ。
 カメラ売り場を見たらデジイチの殆ど全ての種類が並べてあった。手を出したいんだけれど、なんだか壊しちゃいそうで怖いけれど、触ってみなくちゃわからない。でも、殆どのカメラには媒体が入っているわけじゃないから、撮ってためつすがめつ見るわけにもいかない。これじゃ重さがわかるくらいだ。
 いつもよりちょっと美味しいパンを買って帰ったものだから今日の夕飯はパンとスープと温野菜で済ませた。すると、またまた眠くて夜9時になる前にもう寝床に入るやいなやすっかり寝込んでしまった。なんだか夢を見たような気がするけれど、何も覚えていない。
 目が覚めて、なんだか起きちゃいそうな気がして、そうするとまたくだらないことを考えるような気がして、例によってテレビの音声をラジオで聴こうとスイッチを入れると、NHK総合テレビが談志の話をしている。なんだまた談志かぁ、と思ったんだけれどとにかくちょっと聴いたら、なんと「新春蔵出し」といって、いつだったかNHKが大胆にも実施した「談志十時間」の再放送である。
 談志の落語はヒヤヒヤしたり、あれまぁと思ったりするんだけれど、とにかく聴いちゃったりする。そのとにかく聴いちゃうってのが術中にはまっていると思うんだけれど、しょうがない。圓生志ん朝が命だ、と思っている人にはあんまりのめり込む人はいない。とにかく難しい感じの人のようで、そこが好きじゃない。そうはいってもテレビで流れればやっぱり見ちゃう。じゃ、独演会に行くかというと、談志命と思っている人たちがたくさんいて、切符なんて買うのはまめに動かないと買えやしないんで、全く見たことがない。実際に談志を見たことがあるのは20年ほど前になるだろうか、三社祭の金曜日だったかに浅草神社の本社の御輿を友達と見に行ったときに、横に談志が、あ、いや松岡克由が、誰かを連れていて、御輿の説明をしているところだった。
 すっかり目が覚めてしまった。