ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

クローズアップ現代

“終(つい)の住みか”の落とし穴〜有料老人ホーム破たん続出〜

自宅を売却して資金を調達し入居したのに、契約時の介護サービスが削減される、突然施設を追い出されるなど。全国で老人ホームの経営が破綻、転売されてその度にサービスが低下するケースが相次いでいる

 出演されたコメンテーターの研究者の方は「今これを聞いて驚いた」という前提で話されていた。福祉政策を専門とされる方とはちょっと思えない発言で私は大いに驚いた。そもそも2000年に福祉構造改革として民間資本の介護分野への参入を諸手を挙げて大歓迎されたはずではなかったのか。それに対して様々な問題点の指摘があった中、とにかくこの分野が経済の大原則の中にようやく船出したんだからと、これを支持できないのは現実的ではないのだといっていたのは誰だったのか、私は当時のノートをひっくり返してみたい思いに駆られた。そもそも「措置」から「契約」に変わる日本の福祉社会は大きく舵を切ったと浮かれていたのは誰だったのか。
 「契約」という考え方は、そもそも相対する当事者がそのカウンターパートに対してひょとして犯すかも知れない契約事項の不履行に際してのペナルティー条項を規定しておかなくては意味を持たないわけで、そうして双方を同じレベルに置いていなくては意味がない。しかるにそれまでの日本の一般的社会にはこうした考えが普及していたとは納得しがたい。
 ましてや福祉の現場でどちらかといえば手をさしのべていただく側に立つものが概ね弱い立場になる現場で、そんな項目をきちんと把握し、それが完備されていないからこの契約を停止するというスタンスに立って、そうしたサービスを探すことができる利用者は殆ど皆無だという点は予測できて当たり前だ。
 それを「ようやくこういうところにまで来たわけだから、それを潰すような発言ではなく、実施していくという原点に立って受け止めていくべきだ」という声が、このシステムを進めていく側に立ったものからは投げ返されてきた。
 有料老人ホーム経営者の施設運営からの逃亡は今更始まったわけではなくて、ずっと引き続いてあった。それを加速してきたのは「民間の力をこの現場に引き入れる」ために規制を取っ払ってきた政策推進を後ろから押し続けた学識経験者の責任も明確に問わなくてはならない。
 その全てがそうだとはいわないけれど、有り体に申し上げれば「有料老人ホーム」という施設の経営はゴルフ場やリゾート倶楽部と同じような感覚で経営されている。しかし、そこで提供されるのは一時のエンターテインメントではなくて、生活そのものなのだ。あたかもリゾート倶楽部の会員勧誘のごとき「有料老人ホーム」の案内サイトをみていると、やりたい放題になっていることを痛感する。
 本来的には各種施設について第三者評価機関の評価を受けないと利用者募集ができないシステム作りが必要だろう。民間企業の運営に対して踏み込むことができないとコメントしていた秋田県職員のスタンスからいえば、厚生労働省の怠慢は明確で、これを看過してきた、いやむしろこれを後押ししてきた学識経験者の責任は重い。